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プロローグ; フランス映画の誕生と勃興; 再生とアバンギャルド映画の開花; トーキーの到来と黄金時代; 占領と戦後の撮影所システム; ヌーベル・バーグとその影響; ポスト・ヌーベル・バーグの世代; 映画の新しい世紀にむけて
フランス映画は、映画の誕生とともにはじまった。映画を発明したという自負から、フランス映画は、草創期から世界の映画をリードし、その後ハリウッド映画(→ アメリカ映画)が世界を制覇してからも、フランス独自の文化的香りをたたえる映画によって世界の映画の中に独特の位置を占めてきた。なかでも1950年代末におこったヌーベル・バーグは、各国における映画の黄金時代をささえた撮影所システムの崩壊を象徴するものとして、世界のわかい映画人たちに大きな影響をあたえた。今日の世界の映画は、まさにヌーベル・バーグが生みだした新しい状況をひとつの出発点にしている。その個性豊かなフランス映画は、世界から注目されながら21世紀をむかえた。
1895年12月28日にパリでリュミエール兄弟のシネマトグラフが公開され、映画の誕生と同時にフランス映画の歴史がはじまった。リュミエール兄弟の映画の多くは実写だったが、ジョルジュ・メリエスはトリック撮影の発見をきっかけに「月世界旅行」(1902)など物語映画を製作、初期の多くの映画製作者たちに影響をおよぼした。なかでもパテ社やゴーモン社などは製作・配給・興行の組織化をはかり、映画を新しい産業として確立していった。 パテ社やゴーモン社は多様な題材をとりあげ、フランス映画は世界をリードした。1908年にはフィルム・ダール社が「ギーズ公の暗殺」(1908)で映画を芸術とする運動をはじめ、世界に影響をあたえた。10年代にはマックス・ランデー主演の喜劇映画シリーズやルイ・フイヤードの「ファントマ」(1913)などの連続活劇映画が大ヒットしたが、第1次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によって映画産業はほとんど製作中断にまで追いこまれ、フランス映画は停滞してしまった。
第1次世界大戦後、映画評論家のルイ・デリュックらはアメリカ映画の活気に刺激され、フランス映画の再生をはかった。その結果、1920年代にはアベル・ガンスの「鉄路の白薔薇(しろばら)」(1923)や「ナポレオン」(1927)、マルセル・レルビエの「エル・ドラドオ」(1921)や「人でなしの女」(1924)などが次々と製作され、またフォトジェニー論やリズム論といった映画理論も活発になり、製作と理論の両面でサイレント映画の黄金時代をむかえた。 この商業映画の活気は、一方で、映画を新しい表現とみる芸術家たちが実験的な映画を発表したことにも刺激をうけた。なかでもダダやシュルレアリスムの影響は強く、マン・レイの「理性への回帰」(1923)、ルネ・クレールの「幕間」(1924)、ジェルメーヌ・デュラックの「貝殻と僧侶(そうりょ)」(1927)、ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」(1928)、ジャン・コクトーの「詩人の血」(1931)などが製作され、アバンギャルド映画が多彩に花開いた。 → 映画「サイレント映画」の「フランス」
フランス映画のトーキー時代はクレールの「巴里(パリ)の屋根の下」(1930)から実質的にはじまり、1930年代に黄金時代をむかえた。ジャック・フェデーの「外人部隊」(1934)、ジャン・ビゴの「アタラント号」(1934)、ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」(1937)、ジュリアン・デュビビエの「舞踏会の手帖」(1937)、マルセル・カルネの「北ホテル」(1938)などが次々と製作され、また演劇畑からサッシャ・ギトリーやマルセル・パニョルがきて映画界に活気をあたえた。 1930年代はスターの時代であり、ジャン・ギャバン、シャルル・ボワイエ、ダニエル・ダリュー、ミシェル・モルガンといったスターたちが活躍した。その華やかさの反面、クレールの「巴里祭」(1933)における庶民の情感をえがいたフランス映画独特のポピュリスムは、しだいにペシミズムが色濃くなり、カルネとジャック・プレベールのコンビに代表される詩的レアリスムの特異な雰囲気描写になったが、その運命論的な暗さは近づく戦争を予感していた。
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