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  • 市 - Wikipedia

    この項目では、 行政区分 の一つである市(し)について記述しています。取引を行う場所である市(いち)については「 市場 」を、 織田信長 の妹で 浅井長政 の正室である織田 市(おだ・いち)については「 お市の方 」をご覧ください。

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市 いち
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

市場(いちば)ともいう。売り手と買い手が交易の目的で、定期的または不定期的に多くの人があつまって物資の交換をおこなうこと、またはその場所。

貨幣経済の発展とともに、具体的な交易の場所でなくても、機構や制度を通じて商品の取り引きがおこなわれるようになったが、この場合は、一般に市場(しじょう)またはマーケットとよばれる。さらには、市場競争によって自由に商品やサービスが取り引きされるような経済のあり方を「市場経済」とよび、この場合は経済学的概念のひとつである。

「市」を意味する英語のフェアFairは、もともと聖人の祝祭日(祝祭日と行事)などに特定の場所で祭礼がおこなわれ、そこに人々があつまって交換をおこなうことをさしていた。この起源は日本の市の場合も同様である。日本の縁日は、神仏の縁の深い日に社寺に参詣(さんけい)すると功徳があるという信仰からきているが、そこに人があつまり、交易や芸能がおこなわれる機会となったのである。中東地域でも、宗教上の聖地だったメッカなどを中心に市が制度化されるにいたった。スーク

定期的、不定期的に市がひらかれる背景には、中世を通じて交通が不便で、潜在的な買い手が自分の欲する商品を自由に購入することができず、商人たちもたびたび在庫を更新することが不可能だったという事情があった。しかし商品経済の発達につれ、ヨーロッパの至る所で年中行事として市がひらかれるようになった。市が商業活動にますます重要になるにしたがい、商人たちは世俗的、宗教的特権を獲得し、市の開催中におこった紛争は自分たちで法廷をひらいて解決する権利をみとめられていた。

II

日本の市

日本では邪馬台国(2~3世紀)に支配される国々に市のあったことが「魏志倭人伝」の中にしるされ、「日本書紀」によると、5~6世紀に大和国の海石榴市(つばいち)、河内国の餌香市(えがのいち)など、交通の要地には市がたっていた。都城が成立すると、平城京平安京には東西の市がもうけられ、市司(いちのつかさ)が管理した。地方でも平安時代から国府の周辺に国市(くにいち)とよばれる市がたてられ、調庸物や年貢公事物の交換の中心の場となる。

平安末期~鎌倉時代には農業生産力の向上と、それにともなう手工業の発展、日宋貿易による大量の宋銭の輸入などで商品貨幣経済が発達する。地方の国府、寺社門前、地頭館や荘園政所の周辺、街道筋の宿駅や湾港、河川などの交通の要地では、月に3度の定期市である三斎市(さんさいいち)がひらかれるようになった。これらの市はおもに地頭などの在地領主によるもので、中央の荘園領主への貢納品を調達し、自らの収納物を金にかえた。

鎌倉末期~南北朝期になると、周辺の農民も市に参加するようになり、市の規模はますます大きくなった。室町時代には月に6度の定期市もおこなわれ、六斎市とよばれた。この時期には、市の普及によって京都の三条・七条の米場、山城国淀の塩・魚市場、美濃国大矢田の紙市場のように、特定商品だけをあつかう専門の卸売市場も各地に成立した。

市で商人が商売をおこなう場合、市場の監督権をもつその土地の荘園領主や守護大名に市場税をおさめて、市座(いちざ)とよばれる一定の商品の販売座席をえるのがふつうであった。市座をえた商人が市の販売を独占することになり、特権的な市座商人の出現をうながした。しかし織田信長ら戦国大名の中には、城下町の建設や領国内の市場の発展のため多くの商人をあつめる必要から、城下町や六斎市などでの座の特権を否定し、市場税の免除で自由営業を保障する楽市・楽座政策をとる者もあらわれた。このため市における市座商人の特権はしだいにうしなわれる。

江戸時代には、城下町などの都市の形成と常設店舗が多くなって、六斎市などの定期市は衰退していく。かわって江戸・大坂・京都などの大都市では、大坂の堂島米市場()、江戸の神田青物市場など、米穀・青物・海産物をはじめとする消費物資の大量取引をおこなう卸売市場が成立した。地方においては、その地域の特産物などの取り引きを目的とした特殊市が発達する。

III

ヨーロッパの市

中世、とくに13世紀から14世紀にかけて、ヨーロッパでは多くの市があった。そのうち有名なものはシャンパーニュの市(フランス)であったが、のちにはジュネーブの市も重要なものになった。このほかにも、イタリアのパビアやミラノ、ドイツのフランクフルトやライプツィヒ、イギリスのストゥアブリッジやロンドンなどでも重要な市がひらかれていた。なかには、牛とか馬、あるいは衣料品といったような特定商品のみをあつかう市もあったが、たいていの場合は一般雑貨をあつかっていた。また多くの市では、通常の交易活動のほかに、労働力の取り引きもおこなっており、そこを通じて、一年じゅう、召使いや農業使用人がやとわれていった。ときには、商業市と併行して娯楽を提供し、なかには、ロンドンのバーソロミューの市のように、やがて商業機能をうしなって、ほとんど娯楽施設だけを売り物にするようになったものもあった。さらには、1204年にアイルランドにひらかれたドニブルックDonnybrookの市のように、酒宴のドンチャン騒ぎとけんかの代名詞となった。ビクトリア女王の治世下の1855年には廃止されたものもある。

18世紀ごろになると、商店数もマーケットの数も増大し、また輸送手段やコミュニケーション手段の改善もあって、商業上の市はしだいにその意義をうしない、特定の場所に取り引きを集中するようになった。

18世紀の最大の市は、ドイツのライプツィヒ(1507年設立)と、イギリスのストゥアブリッジ(1211年設立)にひらかれた。19世紀にはいると、ライプツィヒの市は成長して大規模な国際商業見本市となったが、そこではもはや諸商品が直接販売されるというより、むしろサンプル(見本品)の展示場であった。

ロシアでは経済発展の遅れもあって、ヨーロッパの多くの国々で市の重要性がうしなわれたあとも、長い間、市が重要な役割を演じた。ロシアの国内やアジアとの交易の中心となったのは、1817年に設立されたニジニーノブゴロドの大きな市である。ニジニーノブゴロドの市は、第1次世界大戦のころまでロシアの交易活動の中心でありつづけた。

IV

20世紀の見本市

20世紀にはいると、市は直接交易をおこなう場所というより、見本市の性格を強めていく。見本市というのは、最新の製品を見本として展示し、販売促進をおこなう市である。

この会場で商談がまとまれば、あとで商品の受け渡しと支払いがおこなわれる。自動車、事務機器、コンピューター、繊維などの産業が毎年、それぞれ見本市を開催して販売促進をおこなっている。その時代の文明全体の展示をふくめた総合的なものは博覧会(博覧会と展示会)とよばれる。

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