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コムギ、トウモロコシ、米という世界の主要三大穀物を品種改良することによって、在来種とくらべて2~3倍もの高収量を可能にする品種が開発された。これは「緑の革命」とよばれ、第2次世界大戦後の世界の食料増産にもっとも重要な貢献をした。この開発は、多くのラテンアメリカやアジア諸国で穀物の増産をもたらし、まさに画期的な技術革新となった。
1962年にはフィリピンで国際稲研究所(IRRI)が設立され、IR-8などのイネの高収量品種が次々と開発され、やがて多くのアジア稲作諸国に新品種が普及することとなった。 技術的には、これらの新品種は矮小(わいしょう:背丈の低いこと)であり、多く肥料をあたえてもよく吸収するという耐肥性にとむ。また季節による日照量の変化に影響されにくい非感光性であるために、1年に2~3回は収穫可能であるという特徴をもつ。 しかし同時に、これらの高収量品種は、病害虫に対する抵抗力が弱く、しかも化学肥料をじゅうぶんに投入し、最適な水利条件を用意しなければ、高い潜在力を発揮できないという欠点をもっている。つまり、高収量という恩恵をえるためには、じゅうぶんな化学肥料と水、農薬による病害虫の化学的防除が不可欠の条件となるのである。その結果、稲作は化学肥料や農薬といった工業製品に依存するかたちへと姿をかえていった。 IRRIで開発されたIR-8などのイネの高収量品種は、1960年代中ごろから普及しはじめ、改良品種の出現とともに、70年代末までに熱帯アジアの水田面積の約3分の1、コムギについては全面積の半分以上にまで高収量品種が普及し、食料不足になやむ多くの発展途上国の増産に大きく貢献した。その結果、インドと中国では、80年代末までに食料輸入国から輸出国となった。インドネシアやフィリピンでも米の自給が、そしてパキスタンではコムギの自給が達成された。
しかし、1980年代に入ると、緑の革命は新しい段階をむかえた。70年代末ごろまで順調にのびてきた灌漑面積と高収量品種の普及の伸び率は、多くの国で大幅に鈍化した。化学肥料や農薬は水田の土壌を汚染し、大量の水を供給するための灌漑施設によって表土には塩害が発生。農民たちは、新品種の種子や化学肥料、農薬の代金支払いによる経済的な圧迫をこうむることになった。また、イネの高収量にみあうほど需要がなかったことで、市場価格の暴落にみまわれた。その結果、収量が増加する一方で、多くの農民たちの貧困化が助長されることにもなったのである。
米は生産量では三大穀物に入るが、総生産量に対する貿易量の割合でみると格段に小さい。コムギやトウモロコシが、おもに販売や輸出という商業目的で生産される傾向が強いのに対し、米はアジアを中心に自給目的の生産が中心となっているのである。
イネが湿潤な気候をこのむ作物であるために、米はアジア、とくにアジアモンスーン地帯で多く生産、消費され、世界の米食民族も大部分が日本など東アジアや東南アジアに集中している。世界の米生産の90%以上がアジアに集中しており、同時に、アジアで生産される穀物の大部分は米となっている。 もちろん、欧米諸国においてもスペイン、イタリア、アメリカ合衆国などではわずかながら水田が存在し、稲作がおこなわれているが、日本やアジアの諸国では水田が圧倒的に多く、比較にならないほどの重要性をもっている。日本の歴史においては、これまで水田としてつかえる土地はすべて水田として開墾され、それが不可能な所だけが畑地としてつかわれてきたといえるほどである。
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