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江戸湾(東京湾)の海防が最初に問題となったのは寛政の改革時だったが、実際に対策がほどこされたのは、フェートン号事件(1808)後の1810年(文化7)で、大名が三浦半島と房総の海岸警備の担当を命じられた。53年(嘉永6)ペリーが蒸気船で来航するまでは、江戸湾の口をかためておけば安全だと認識されていたのである。ペリーの来航に際して、幕府は外様大名も多数動員して江戸湾内海の警備を強化した。その直後、品川沖に台場がきずかれ、江戸の最終防衛ラインはこの場所に変更された。 その後、開国、通商が開始されると、尊王攘夷運動が強まるなかで江戸湾の警備はつづけられたが、生麦事件(1862)後、賠償問題の解決を主張するイギリス海軍が1863年(文久3)横浜に集結して戦闘開始の可能性が生まれ、江戸と横浜の市中には近郊への避難が許可された。最終的に戦争は回避されたが、幕末期の江戸住人の不安はうすらぐことはなかった。 1868年(明治元)4月、新政府軍により江戸城が接収され、5月に江戸鎮台府がおかれ、旧幕府による江戸支配は終わりをつげる。7月、江戸は東京と改称し、新生日本の首都となった。
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