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  • 桃山画壇と海北友松

    桃山画壇と海北友松 (ももやまがだんとかいほうゆうしょう) 桃山(ももやま)時代と聞いて、皆さんはどんなことを頭にうかべるでしょうか。たとえば、織田信長(おだのぶなが)とか ...

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    当山におきましては、方丈におきまして海北友松筆「雲龍図」の襖絵を特別公開しております。 海北友松は桃山画壇を代表する巨匠であり、海北派の祖であります。 慶長4年(1599)に安国寺 恵瓊によって方丈が移築再建された際にその襖絵 を描いたのが友松 ...

  • 海北友松 - Wikipedia

    海北 友松 (かいほう ゆうしょう、 天文 2年( 1533年 ) - 慶長 20年 6月2日 ( 1615年 6月27日 ))は 安土桃山時代 - 江戸時代 初期の絵師である。姓は 源氏 、友松は 字 。 近江 (現在の 滋賀県 )の湖北地区に生まれる。名ははじめ「 友徳」。

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海北友松

海北友松 かいほうゆうしょう
百科事典項目

1533~1615 桃山時代の画家。浅井長政の家臣、海北善右衛門尉綱親の子。幼時に出家していたが、織田信長の浅井攻めで父たちが討ち死にしたのちに還俗(げんぞく)した。海北家の再興をめざしたが、武士として身をたてることはできず、後半生は画事に専念するようになった。現在つたわっている作品は、60歳前後から没年までのものである。

建仁寺の本坊(1599年再建)や禅居庵などには水墨の襖(ふすま)絵があり、桃山時代の先人画家狩野永徳の影響や中国宋元画の学習をもとに、友松独特の気迫のこもった表現をみせている。1602年(慶長7)ごろから八条宮家の縁で宮中関係の注文も受けるようになり、それ以後やまと絵の学習成果をもりこんだ「浜松図屏風」や「花卉(かき)図屏風」などをのこしている。

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