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  • 狩野山楽 - Wikipedia

    狩野山楽 (かのう さんらく、 永禄 2年( 1559年 ) - 寛永 12年 8月19日 ( 1635年 9月30日 )は、 安土桃山時代 ~ 江戸時代 初期の 狩野派 の絵師。

  • 狩野派 - Wikipedia

    ... 初代狩野正信とその嫡男・ 狩野元信 、元信の孫で 安土城 や 大坂城 の障壁画を制作した 狩野永徳 、永徳の孫で京都から江戸に本拠を移し、 江戸城 、 二条城 などの障壁画制作を指揮した 狩野探幽 、京都にとどまって「 京狩野 」と称された一派を代表する 狩野山楽 ...

  • 四季花鳥図屏風 伝狩野山楽筆|大名(だいみょう ...

    大名や夫人たちが、私的な生活の場「奥」で使用したり、身の回りを飾ったり、教養を深めるために用いた道具「奥道具」が展示されています。 ...

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狩野山楽

狩野山楽 かのうさんらく
百科事典項目

1559~1635 桃山・江戸初期の画家。浅井長政の家臣、木村長光を父として近江国に生まれる。狩野永徳の弟子となり、やがてみとめられて養子となった。1588年(天正16)病にたおれた永徳のあとをうけて、東福寺法堂の天井画「蟠竜(ばんりゅう)図」を完成。永徳画法のもっとも忠実な継承者にかぞえられながらも、師ほどの奔放さはなく、穏和な調和をもとめる画風を形成した。

大覚寺の襖(ふすま)絵や「鷙鳥図屏風(しちょうずびょうぶ)」のような花鳥画のほか、風俗画にもすぐれた腕前を発揮し、「犬追物(いぬおうもの)図屏風」や「南蛮屏風」で新機軸をうちたてた。やまと絵系の作品には、九条家の襖絵とつたえられる「車争(くるまあらそい)図屏風」をのこしている。豊臣家と縁が深かったため、豊臣家滅亡直後には一時不遇な時期もあったようだが、晩年には二条城の障壁画制作に参加したほか、妙心寺天球院襖絵(1631頃)のような力作を生みだした。山楽の画系は代々京都で活躍したことから、京狩野とよばれるようになった。

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