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  • 日本人はるかな旅展

    河姆渡遺跡 ・ 稲の道 ・ 古墳時代人の姿 ・ アイヌ・本土人・琉球人 ・ 日本人の二重構造 ・ アイヌと琉球人の由来 ... 中国浙江省にある7000~5000年前に稲作をおこなっていた遺跡です。稲の籾が大量に出土しています。動物の肩甲骨や木で ...

  • 河姆渡遺跡展

    そして河姆渡遺跡の発見である。今から7000年前に稲があったのだ。 さらに、これらの稲は野生種ではなく、日本の縄文時代におそらくは焼き畑で栽培されていたと思われている熱帯ジャポ ニカと同じものであることを、同じく日本の植物学者が証明 ...

  • 河姆渡文化 - Wikipedia

    余姚市 の河姆渡村の河姆渡遺跡から発見されたことから、河姆渡文化とよばれる。 河姆渡遺跡は 1973年 に発見され、1973年から74年と1977年から78年の2回にわたり発掘作業が行われた。水稲のモミが大量に発見されたため、人工的かつ大規模に 稲 の栽培 が行われて ...

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河姆渡遺跡

河姆渡遺跡 かぼといせき
百科事典項目

中国浙江省にある長江下流の新石器時代の遺跡。1973~78年の2度の調査で黄河文明と同時期に長江文明があったことが明らかとなった。いまのところ中国最古級の新石器文化である。堆積した層位にもとづいて早期(4・3層)と晩期(2・1層)に大別でき、早期を河姆渡文化とよぶが、晩期をふくむこともある。前5000年以前にさかのぼる第4層から円柱・方柱など高床式建物の建築材が大量に発見され、復元すると長さ23m以上、奥行き7mもの大きさになる例もあった。これらの用材は刃部磨製石器で加工されている。

第4層から当時世界最古の籾(もみ)や稲穀、農具が出土し、インディカ亜種の水稲と判明、アジアの稲作文化研究にとって大きな発見となった。土器でも中国最古の彩陶が発掘されている。ブタが飼育されていたが、漁労・採集も盛んだった。

石器時代

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