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文化史的区分での呼称のひとつで、平安中期以降に登場した和風・和様の文化をさす。
わが国の文化摂取は中国の唐を手本としてはじまり、古代律令国家の文化の特徴は、奈良の天平文化に象徴されるように中国文明に影響された豊かな国際性にあった。それは平安時代の桓武(かんむ)朝以降もつづき、平安初期は唐風文化の最盛期といわれた。 しかし、「凌雲集」などの漢詩集が勅撰された嵯峨・清和両天皇の弘仁・貞観期(810~824・859~877)を頂点に、しだいに唐風からの脱却がはかられた。これを明白にかたるのは天皇号である。9世紀末、宇多天皇の寛平期(889~898)以後の天皇号には、それまでの漢風追号にかわって、京都周辺の地名に由来する号がもちいられるようになった。 この時期は、菅原道真の建議で遣唐使が廃止され、外来文化の摂取という外的条件がなくなる状況にあった。くわえて、9世紀末~10世紀は律令国家から王朝国家への移行期にあたる。こうした内外の諸条件の中で、日本的な文化が生まれたといえよう。
朝廷・貴族の年中行事も、それまで中国的な節日(せちにち)行事が中心だったが、この時期には日本の風土に根ざした行事につくりかえられていった。それは服装面にもあらわれ、それまでの中国風の礼服・朝服にかわって、平安中期以降には和様化した男子の衣冠束帯(→ 衣冠:束帯)や、女子の十二単などの女房装束が一般化した。貴族の住居も寝殿造が普及し、屋内は障子や屏風で間仕切りされ、やまと絵がそれらをかざった。 また9世紀までに完成普及した仮名(平仮名)は文学などの世界を飛躍的に発展させた。905年(延喜5)に勅撰された「古今和歌集」は、仮名によって書かれた序文とともに、漢詩から和歌への転換を象徴的にかたっている。「源氏物語」「枕草子」をはじめとする女房文学や女流作家の出現も、国風文化を代表するものだった。 → 弘仁・貞観文化
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