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戸籍とは、国民の身分関係を登録し、かつ公証する公文書である。歴史的には、人民を管理・掌握するために名前・年齢などを登録する制度として発達した。
律令制下の日本では班田収授(→ 班田収授法)・徴税などの基本的な帳簿となり、氏姓・良賤(りょうせん)の身分を確認する根本台帳でもあった。「日本書紀」に欽明天皇の時代に白猪胆津(しらいのいつ)が吉備(きび)の白猪屯倉をたがやす田部(たべ)の丁籍を作成したとあるが、全国的な戸籍としては645年(大化元年)以降の大化の改新の一連の改革がきっかけとなり、670年(天智9年)庚午年籍がつくられ、これにより本貫地(本籍)と身分を確定したらしい。のち690年(持統4年)に庚寅年籍(こういんねんじゃく)ができ、その後はこれをもとに班田収授をおこなった。律令の規定では、戸籍は原則として6年に1度、11月上旬から翌年5月末日までにつくることになっていた。 一般的な記載内容は、戸の等級、賦課義務の有無、戸口集計、戸主・戸口の名と続柄、官職・位階、性別・年齢、疾病の有無、戸ごとの受田額など。50戸ごとに1巻として3通作成し、諸国の国衙(こくが:国庁)・民部省・中務省に1通ずつ保管された。このほかに神社に貢納・奉仕した神戸(かんべ)、漆部(うるしべ)など手工業に従事した雑戸、皇室の陵墓(→ 天皇陵)を守衛する陵戸も特別に籍があり、皇親・僧尼の名籍(みょうじゃく)も別につくられた。戸籍の保存期間は30年だが、庚午年籍は永久保存とされた。しかし律令体制がくずれはじめて個別の人身支配が困難になると、造籍もむずかしくなり、内容としても女性が多数を占めるなど偽りの記載がふえてくる。 11世紀初頭までみとめられるが、戸籍は平安後期にはつくられなくなった。中世では在家(ざいけ)という家単位の課税となり、人頭税を課さなかったため造籍は必要ではなかった。江戸時代になって、宗教政策などにより宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)がつくられ、これは古代の目的とはことなるが実質的な造籍ともいえる。1869年(明治2年)明治政府は直轄下の府県に族籍別の戸籍をつくるよう命じ、72年には身分ではなく屋敷番号別に造籍して壬申戸籍ができた。これにより全国的な規模の戸籍制度が久々に復活したことになる。
たとえばAとBは夫婦であるか、契約の相手方であるCは成人であるか、もし未成年者であればその法定代理人はだれか、Cの扶養義務者あるいは相続人はだれか、など身分関係は当人にとっても第三者にとってもまた国・地方公共団体にとっても重要である。戸籍はこのような個人の身分関係を公的に記録し、証明する制度である。戸籍法(1947年公布)がこれをさだめる。戸籍は、市町村の区域内に本籍(ほんせき)をさだめる1組の夫婦および氏を同じくする未婚の子ごとに編製される(一夫婦一戸籍・同氏同戸籍の原則)。この点で戸籍は諸外国の個人別登録制度とはことなる日本独自の制度である。台湾と韓国の戸籍制度は日本と類似していたが、これは日本の植民地統治に由来するものである。しかし、韓国では、2008年1月、戸籍制が廃止され、個人単位の身分登録となった。
戸籍には本籍を記載し、また戸籍内の各人について、(1)氏名、(2)出生の年月日、(3)戸籍に入った原因および年月日、(4)実父母の氏名および実父母との続柄、(5)養子であるときは、養親の氏名および養親との続柄、(6)夫婦については、夫または妻であること、(7)ほかの戸籍から入った者についてはその戸籍の表示、(8)そのほか命令でさだめる事項を記載する。本籍とは戸籍が所在する場所のことである。住所地、出身地、祖先墳墓の所在地とは無関係にさだめ、また変更することができる。1つの戸籍には1つの本籍がさだめられる。戸籍の筆頭に記載される者を戸籍筆頭者という。夫婦よりなる戸籍簿の場合、氏をかえなかったほうが戸籍筆頭者となる。戸籍筆頭者は強大な戸主権をあたえられていた明治民法の戸主とはことなり、たんなる検索の手段でしかない。1戸籍内の全員が新戸籍の編製あるいは死亡などによりその戸籍からのぞかれたとき、その戸籍は除籍簿として保存される。その時点まで戸籍筆頭者はかわらない。なお住民基本台帳法にもとづき、戸籍には住所を記載した戸籍の付票が付せられ、戸籍と住民基本台帳との連絡がつけられている。
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