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    デジタル古墳百科へようこそ。 堺市には、仁徳陵古墳(大仙古墳)をはじめとして数多くの古墳があります。 このデジタル古墳百科は、それらの古墳をいろんな角度から知ることができます。

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    大仙町にある日本最大の前方後円墳です。 北側の反正陵古墳(田出井山古墳)・南側の履中陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は、全長約486m、後円 ...

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古墳

古墳 こふん
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

土を高くもりあげた古代の墓。日本では弥生時代につづく3世紀半ば~7世紀ころに築造された多種類の墳墓を古墳と総称し、この時期を古墳時代とよぶ。代表的な前方後円墳で世界一の体積をもつ仁徳天皇陵(大山古墳、大阪府堺市)から、直径10mにみたない小円墳、崖部に横穴をあけた横穴墓まで多くの種類がある。律令国家の成立、火葬の流行とともに衰退した。

II

古墳の時期区分と形態

古墳は築造時期から、出現期・前期・中期・後期・終末期の5期に区分され、およそ出現期は3世紀前半、前期は3世紀後半~4世紀、中期は5世紀、後期は6~7世紀前半とされている。形態では、墳丘の平面の形により円墳・方墳・前方後円墳・前方後方墳・双方中円墳・多角形墳・上円下方墳などの種類がある。古墳の出現当初からみられる前方後円墳は日本独特の形態といわれ、円丘部に方丘部を接続させる。前期は方部が長方形をなしており、中期には方部の先端が撥(ばち)状にはりだして大きくなる。

前方後方墳も前期に各地でみられ、地域によっては前方後円墳よりはやく出現するようである。ただし前方後円墳にくらべて数は少ない。前方後円墳のうち方部が極端に短い帆立貝式古墳もわずかながら各地で出現した。方丘部を短くする理由は不明である。円墳の両端に方形の突出部を付設したのが双方中円墳で、類例はごく少ない。代表的なものでは櫛山(くしやま)古墳(奈良県天理市)や石清尾山(いわせおやま)猫塚古墳(高松市)など。猫塚古墳は積石による造成の特殊な古墳でもある。7世紀になると奈良県の飛鳥(あすか)地域の天皇陵の一部に八角形墳が出現するが、なぜ八角を採用するのかはわかっていない。

古墳はほんらい、首長個人もしくは首長層の墳墓として築造されたものだが、前方後円墳では原則的に埋葬施設が後円部にしかつくられていない点から、後円部をなくなった先代首長の葬送儀礼場ととらえ、さらに前方部を次代首長の継承儀礼場とする説が有力である。

朝鮮半島にも古墳があり、ほとんどが円墳か双円墳である(天馬塚古墳)。しかし近年、日本列島に特徴的と考えられていた前方後円墳が発見され、その起源は半島か大陸にあるとの可能性が指摘されている。現状では半島の前方後円墳が年代的に新しいためこの問題を解決するにはいたっていない。

III

築造時期による特徴

出現期の古墳は、弥生時代の墳丘墓が中央埋葬施設として土坑内に木棺をおさめたり、単純な土坑墓を採用し鉄剣や玉(ぎょく)類をまれに副葬品とするだけだったのに対し、定型化した埋葬施設に鏡・玉・刀剣類の、同じく定型化したセットを副葬するようになる。墳形は前方後円形か前方後方形で規模にも地域差があり、実態は不明確な部分が多い。

つづく前期では、平野部をのぞむ台地先端部に築造されることが多く、埋葬施設も後円部中央に6~7m台のくりぬき式木棺を長大な竪穴(たてあな)式石室におさめ、中に副葬品として鏡・玉・刀剣類などをおく。墳丘部には家・楯(たて)・蓋(きぬがさ)などの形象埴輪を、墳丘斜面には円筒埴輪をとりまくように配置した。これらの配置は古墳上でおこなわれた葬送儀礼の内容を表現するものと考えられる。

中期の古墳は、平野部に築造された応神天皇陵(誉田山:こんだやま)古墳(大阪府羽曳野市)や仁徳天皇陵古墳のような全長400mをこす超大型前方後円墳に代表される。周囲を2重3重の濠でとりかこみ、方丘部と円丘部の接続地点に造り出しがつく。埋葬施設は竪穴式石室内に重量感のある長持(ながもち)形石棺をおさめるが、比較的小型の古墳では土坑周囲を粘土でかためた粘土槨(かく)がつかわれる。副葬品は石製模造品とよばれる祭祀(さいし)用具や鉄刀・鉄剣・甲冑(かっちゅう)類、および中国大陸・朝鮮半島との活発な交流を反映する馬具・金銀製装飾品などもあらわれる。

後期の古墳は、大陸系の横穴式石室が採用される。後円部の墳丘裾(すそ)部から横穴をほりこみ、周囲を切石で構築し巨大な石室とするもので、入り口部を何回も開閉できるため時間差のある複数の石棺が同じ古墳から発見されることも多い。見瀬丸山古墳(奈良県橿原市)では入り口部からの全長27m以上の横穴式石室が構築されていた。埋葬施設は家形石棺というもちはこびやすい石棺が流行する。副葬品は量的には減少し、須恵器のセットやわずかな玉類・金銅製装飾品・鉄製武器・馬具が出土する。この時期の古墳は全体として小型化する傾向がみられ、小規模な円墳が山丘上に何百基と群集して構築されたり、地方では軟質岩崖部に横穴をほりぬいて埋葬施設だけをつくる群集横穴墓などがあらわれる。

終末期は、歴史年代としては飛鳥・奈良時代にはいる7世紀後半から8世紀の古墳である。畿内地方のごく一部につくられた天皇やその近親者を埋葬するための小規模古墳である。彩色壁画の発見で有名な高松塚古墳(奈良県明日香村)などが代表的。

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