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  • ジョサイア・コンドル - Wikipedia

    「コンドル」は オランダ 風の読み方で、コンダーの方が英語に近い。著書『造家必携』(1886年)には「ジョサイヤ・コンドル」とあり、政府公文書では「コンダー」「コンドル」が混在しているが、一般には「コンドル先生」で通っている。

  • ジョサイア・コンドル博士特集

    ジョサイア・コンドル博士-2002.01.20 21世紀になっても、昔の輝きを失せず現役でりっぱに活躍しているものが沢山ありますね。それらのものを画像に納め ...

  • ジョサイア・コンドル(上) - 三菱人物伝 - 三菱グループについて ...

    しかしコンドルの真価が発揮されたのは工部大学校での教育・人材育成であろう。日本銀行本館や東京駅などを設計した辰野金吾、のちに赤坂の迎賓館を設計した片山東熊(かたやまとうくま)、慶応義塾大学図書館や長崎造船所の迎賓館「占勝閣(せんし ...

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コンドル,J.

コンドル Josiah Conder
百科事典項目

1852~1920 建築家。名前は本来コンダーと発音するが、日本ではコンドル、コンデルと称された。ロンドンに生まれ、ロンドン大学などで建築をまなび、ゴシック・リバイバル建築の大家バージェスに師事。1876年(明治9)には、イギリス王立建築家協会のソーン賞設計競技で入賞をはたした。

1877年に来日して工部大学校教師に就任し、彼のもとからは、辰野金吾、曽禰達蔵、片山東熊など明治期を代表する近代建築家を輩出する。単なるイギリス建築の移入ではなく、日本人の伝統と生活を尊重した近代建築を提唱し、上野博物館(1882、現存せず)、鹿鳴館(1883、現存せず)、ニコライ堂(1891)などの設計を手がけた。88年(明治21)、官を辞して建築事務所を開設。以後帰国することなく、河鍋暁斎に入門するなど日本文化を愛好しつづけ、日本人の夫人とともに終生日本でくらした。

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