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山水、つまり山岳と河川などの自然風景を主題とした東洋画のジャンル。たんなる風景画とはことなり、自然の模倣におわらず、作品に作者の精神が投影されていることも要求された。
漢代(前202~後220)には山岳をモティーフとした装飾がみられ、六朝時代(3~6世紀)の顧愷之は山水そのものを絵の対象としたとつたえられる。しかし、山川の自然風景を主題とする山水画を本格的に成立させたのは、呉道玄、李思訓、李昭道、王維ら唐代(618~907)の画家であった。 五代から北宋時代には、華北系の荊浩(けいこう)、李成、江南系の董源、巨然(きょねん)らがでて、気候風土に即した水墨山水画を展開した。北宋画院の郭煕は、三遠法をもちいて立体感の表現に成功。南宋画院の馬遠、夏珪は余白を生かした構図法を生みだし、院体画の基礎をきずいた。宋末元初の牧谿、玉澗は、大胆な筆さばきで水墨による光の表現を追求した。 元末四大家と称される黄公望、呉鎮、倪瓚、王蒙は胸中にうかぶ理想的な山水をえがき、後世、文人画の規範となった。明代(1368~1644)には院体画の流れをくむ戴進、李在らの浙派と、元末四大家にまなんだ沈周、文徴明らの呉派が対立した。明末の董其昌は写意を重んじて呉派山水画を正統派とし、清代(1644~1912)には石濤(せきとう)、王時敏らが呉派をうけつぎながら個性的な表現をもとめた。
日本の山水表現は中国の影響をうけながら発展した。飛鳥時代(592~709)の法隆寺玉虫厨子の台座絵や奈良時代(710~783)の「絵因果経」には六朝風の山水表現がみられる。正倉院には麻布山水図や琵琶捍撥(かんばち)の絵がのこされており、唐代の山水画を思わせる。 これらの唐絵(からえ)山水画とともにやまと絵山水画も成立した。平安時代(794~1179)の山水屏風(せんずいびょうぶ)は中国の風俗をえがいたものであるが、その山水表現には和様化がみられる。鎌倉時代(1180~1332)から室町時代(1333~1573)の絵巻物や社寺曼荼羅(まんだら)には、日本の実景をうつしたやまと絵の山水表現がある。 室町時代には中国にわたった禅僧により宋元の水墨山水画がつたえられ、中国では二流とされた牧谿、玉澗の作品が評価され模倣された。応永期に流行した詩画軸は山間の庵室をえがいたものが多く、禅僧の隠逸思想を反映している。この時期、周文、相阿弥、祥啓(しょうけい)ら水墨山水画の名手が輩出。雪舟は宋元画にまなびつつ強い個性をもりこみ、日本の山水画を大成した。幕府御用絵師となった狩野正信、元信父子は、山水画を屏風や襖絵(ふすまえ)の大画面にえがいた。 江戸時代(1600~1867)には、狩野派のほかに南画家の池大雅、浦上玉堂らがでて、明清の文人画にならった南画山水をえがいた。明治には狩野芳崖、橋本雅邦らが日本画に西洋画の構図法や明暗法をとりいれ、新しい山水画の創出に努力した。
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