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自衛隊法(1954年制定)によってもうけられた日本の軍事組織。法律上の定義としては、防衛大臣をはじめとする防衛省幹部や防衛省本省の内部部局・陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊・防衛大学校・防衛医科大学校・統合幕僚監部その他の機関をふくむ。 任務は「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」(自衛隊法3条)と規定されている。 「自衛」という表現は、日本国憲法9条の規定で、日本は「国際紛争を解決する手段としては」永久に戦争を放棄しており、そのために「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とさだめられているので、「戦力」を有する「軍隊」の存在は憲法違反となるからである。
1950年(昭和25年)6月に朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)した後、国内治安の維持を任務とする7月8日付けの連合軍最高司令官マッカーサーの指令によって、8月10日に警察予備隊が創設された。
形式上は警察機関であったが、実質的には軽武装の軍事組織的性格が強かった。翌1951年にサンフランシスコ講和条約が締結され、同時に日本とアメリカとの間には日米安保条約が締結された。ソビエト連邦(ソ連)との冷戦の進行の中で、アメリカは東アジア地域においては安保条約にもとづく在日米軍を極東戦略の要としながら、独立回復後の日本の防衛力の強化をも期待せざるをえなかった。
1952年4月26日に海上保安庁内に海上警備隊が設置され、さらにサンフランシスコ条約発効後の8月1日に、警察予備隊と海上警備隊を統括する保安庁が設置された。これにともなって、警察予備隊は保安隊に、海上警備隊は警備隊に改称された。保安庁の任務としては、「わが国の平和と秩序を維持し、人命及び財産を保護する」(保安庁法)と規定されて、警察予備隊よりいっそう軍隊的性格を強めた。 こうした一連の動きに対しては憲法違反であるという批判が高まったが、吉田茂首相は、1952年3月の参議院予算委員会で「自衛のための戦力は違憲にあらず」と答弁して問題化するなど、しだいに再軍備と憲法9条の戦争放棄の規定との関係が政治的な焦点となっていった。
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