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Windows Live® の検索結果 中国、明・清代の宮城。「紫」は古代中国の天文学で紫微垣(しびえん)とよぶ星座に由来するが、この星座は天帝を意味するとされる。東西約750m、南北約960mで、面積は約72万m²におよぶ。明の成祖永楽帝が南京から都をうつし、元の宮城跡にきずいたのち、明末の戦乱で破壊され、清代に復興して今日にいたっている。現在は故宮とよばれ、南端の午門(正門)から北端の神武門(後門)にいたる直線上に、主要な楼門や殿宇がならび、南の「外朝」と北の「内廷」にわかれる。 まず南側から天安門をくぐり端門をすぎると、世界最大の門といわれる午門にいたる。中にはひろい庭内に黄金色の琉璃瓦(るりがわら)、紅殻(べんがら)色の障壁できずかれた太和門、太和殿、中和殿、保和殿など、かつて皇帝が儀式をいとなみ政務をつかさどった巨大な建築群がそびえる。いっぽう内廷には乾清(けんせい)宮、交泰殿、坤寧(こんねい)宮などの建物があり、こちらは皇帝の私的な生活がいとなまれ、皇后や太子たちの住居にもなっていた。故宮には上記のほかに文物を陳列する青銅器館、陶瓷(とうじ)館、明清工芸美術館、珍宝館、絵画館などがある。後門の神武門をでた向かいの山は景山で、今は公園になっている。 1911年におきた辛亥革命後も清朝最後の皇帝溥儀は紫禁城にすむことをゆるされていたが、24年に馮玉祥(ふうぎょくしょう)のクーデタで天津におわれ、翌年以降、故宮博物院として公開されるようになった。その後、日本の侵略による戦禍をさけるため故宮の主要な文物は、約3000箱の荷物におさめられて南京、重慶などを点々と疎開した。さらに日本敗戦後の国共内戦の際、それらの文物の大半は国民党とともに台湾に移送され、今は台湾にある故宮博物院に収蔵されている。
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