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中国の秦の始皇帝の陵墓。陝西省臨潼県にあり、独立した山丘の北麓(ほくろく)につくられた世界一の規模をもつ墳墓。始皇帝は秦の王位についた翌年の前246年に建設を開始、なくなった前210年に埋葬された。1987年に世界遺産(文化遺産)として登録されている。 平面形はほぼ正方形のピラミッド型墳丘で、かなり浸食されているが1辺約350m、高さ約76m(築造時は115m)ある。主墳の地下に皇帝棺が埋葬されていると思われ、1980年には墓道とおぼしき地点の一部から2輌の銅製馬車(馬4匹、御者1人)が発見されている。墳墓の周囲は二重の城壁でかこまれ、内側の城壁は南北1355m、東西580m、外側の城壁は南北2165m、東西940mもの広大な規模だった。 皇帝が埋葬された主墳丘の周辺には、これまでに陪葬墓(ばいそうぼ)とよばれる皇帝の側近や近親者の墓群がみつかっている。中には切断された死体や頭骨に鏃(やじり)がささったものもあり、始皇帝の死後に2代目胡亥(こがい)が兄弟ら皇族を殺害したという説もある。 副葬品をうめた陪葬坑や陪葬墓は城壁内や周辺各所で600カ所以上発見され、歴代皇帝のそれが多くて数十程度であることからも始皇陵の規模の壮大さがわかる。珍鳥や獣、馬などが生き埋めにされた例もあり、400頭ほどの馬の遺体をうめた陪葬坑が内外二重の城壁にはさまれた西側の地点でみつかっている。
1974年に外城壁の東方約1kmの地点で発見された兵馬俑坑(へいばようこう)は、もっとも大規模な陪葬坑である。これは1号兵馬俑坑とよばれ、東西約230m、南北62mの大きさで、これまでの発掘調査により約6000体の兵士や馬の陶俑が埋納されていることがわかった。兵馬俑は実物大に近く、写実的につくられており、歩兵と4頭立て戦車が隊列をくんだ形で配置されていた。その後、2号坑と3号坑も発見された。2号坑は1号坑から20mほどのところにあり、ここには約2000体の兵馬俑がおさめられていた。弓矢をもつ兵たちを前におき、後ろに4頭立て戦車隊と騎兵隊が配置されていた。3号坑は、もっとも小さく、約70体の兵馬俑がみつかっており、軍団の後方で指揮をする司令部と考えられている。 これらの地下軍団は、始皇陵を警備するためのものと考えられ、当時の軍備などを知る学術的資料としてだけでなく、美術的資料としても貴重なものである。兵馬俑坑は現在、それぞれに覆(おお)い屋根のついた建物がつくられ、全体が秦始皇兵馬俑博物館として公開されている。発掘調査や兵馬俑の復元作業も継続中である。
2003年11月には、陝西省文物考古研究所と中国地質調査局がおこなっていた遠隔探査などハイテク技術による調査で、墳丘の地下に巨大な地下宮殿や墓室があることが判明した。地下宮殿の存在は予測されていたが、具体的な規模や構造がわかったのははじめてだった。発掘はおこなわれていないが、その後も調査はつづけられ、地下宮殿は東西168m、南北141m、高さ15mの規模で、中央に石灰岩でつくられた墓室(東西約80m、南北約50m)のあることがわかっている。墓室の周囲には、厚い壁がめぐらされており、それにまもられて墓室はこわれていないようである。 また、地下宮殿には大量の水銀がながしこまれていたことも判明。司馬遷の史記に、始皇帝陵には「水銀の川や海がある」との記述があり、それを裏づけるものとなった。
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