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Windows Live® の検索結果 大阪市天王寺区にある和宗の本山。荒陵(あらはか)寺ともいう。587年(用明2)聖徳太子が物部守屋討伐に参加し、苦戦する中で四天王に戦勝とともに寺院の建立をちかったとされる。はじめ難波玉造(なにわたまつくり)の地にたてたが、593年(推古元)に現在地にうつした。伽藍配置は四天王寺式とよばれ、中門・塔・金堂・講堂が南北一直線にならぶ。623年に新羅からもたらされた舎利・金塔・灌頂幡(かんじょうばん)が納入され、648年(大化4)には阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)が五重塔内に四天王像を安置したという。 律令体制下では難波津と西方の鎮護にかかわって権威をもち、1007年(寛弘4)には聖徳太子の予言の書「四天王寺御手印縁起」が発見され、太子信仰の霊場として新しい支持層をえた。平安末期の社会混乱で浄土思想が流行すると、四天王寺西門が極楽の門と信じられ、念仏におとずれる人々やとくに彼岸中日の日没に西門外で浄土を念じる日想観(にっそうかん)の修行者が多くあつまった。南北朝期からたびたび戦場となり、1576年(天正4)・1615年(元和元)に伽藍を焼失し、1945年(昭和20)の空襲でも全焼した。国宝に、飛鳥時代の丙子椒林剣(へいししょうりんけん)・七星剣や平安後期の「扇面法華経冊子」などがある。
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