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中国、南宋の朱子によって集大成された思想体系。 宋の時代は、新興の知識人たちが科挙試験を通じて官僚になるという近世的社会になった。こうした人々は従来の儒教では満足できず、仏教や道教、その他の科学的知見を考慮した新たな世界観によって儒教の再解釈をおこなうことになった。宋代におこったこうした学問は宋学とよばれる。 朱子学は宋学のもっとも主要な一派で、その内容から理学、性理学、道学、聖学、義理の学などとも称され、その学問の系譜から程朱学ともよばれる。朱子は北宋の儒学者である周濂渓(しゅうれんけい)、程明道(ていめいどう)、程伊川(ていいせん)、張横渠(ちょうおうきょ)らの説を継承しつつ、自己の体系をつくった。その分野は存在論から人間観、倫理、政治、経済、歴史、文学、天文や自然観察といった科学など広範囲にわたるが、朱子学のおもな目的は人倫における義理の究明にある。
朱子は太極を宇宙の本体と考え、周濂渓の「太極図説」を重んじて解説をくわえた。それと同時に、程伊川の理気二元論をうけて、万物は理と気とからなると考えた。理というのは原因、秩序、法則であり、気はガス状の微小な質量、物質の最小の単位である。気は一元気から陰陽の気にわかれ、さらに木・火・土・金・水の五行の気にわかれ、天地万物はこれらの気の結合でできる。 気が周流して形ができるためには、かならずその原因があり、秩序法則がなくてはならない。それが理である。すべての事物はこの理と気とのからみあいによって成立する。理がなければ気は形をとりえず、気がなければ理のはたらくところがない。理気はこのように切りはなすことのできない関係だが、生成論の観点からつきつめて考えると理が先で気が後である。だから、本体であり原初である太極は理である。太極と理気は由来がことなる別個の論だが、朱子はこの二者を自らの論にくみいれたため、両者の関係を明らかにする必要にせまられて太極は理だといったのである。
人間も理気二元から説明される。人は天から性をうける。この「本然の性」は理(性即理)であって、人倫における理すなわち仁・義・礼・智・信は、完全なる善である。しかし、現実の人間が完全なる善の体現者ではないのは、個々の性である「気質の性」には気のにごりがあるためである。不善はこの気のにごりに由来する。たとえば、聖人の性は気質のにごりがないから本然の性のままだが、凡人の性は気質のにごりによってその本然の性がおおわれている。
心は性と情を統括していて、判断の主体であるが、理にもとづく心は道心、気にもとづく心は人心といって区別する。道心は善であるが、人心には善悪がまじる。人心のはたらきが天理による場合は善となり、人欲による場合は不善となるという。心の本体は性であるが、外物にふれてうごくと、それは情である。 情は四端(したん)と七情にわけられる。四端とは惻隠(そくいん)、羞悪(しゅうお)、辞譲、是非で、これは仁・義・礼・智の理が情としてあらわれたものだから善である。七情は喜・怒・哀・懼(く:おそれ)・愛・悪(お:にくしみ)・欲をいい、これらは気にもとづいてあらわれる感情であるから善不善がある。このように、朱子は理気二元において悪の根拠を気にもとめており、気の要素を克服して理を回復することを倫理の基本型とした。
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