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おもにヨーロッパ、中国、日本で発展した支配階級による私的大土地所有。中国では紀元前後にその萌芽(ほうが)がみられるが、唐・宋代になって一般化。ヨーロッパ、日本は8世紀ごろから顕在化した。
ヨーロッパ史でいう荘園とは、領主が農村にもつ支配領域であり、所領、領主地などと同じ意味合いの言葉だが、とくに荘園という場合には、領主の館を中心にいとなまれる大農場を具体的にさすことが多い。ヨーロッパの領主制の内容は、土地領主制、裁判領主制、体僕領主制(農奴制)に区別されるが、荘園とは、このような複合的な領主農民関係をふくみつつ領主の家経済のいとなまれる場である。その基本的内容は、封建的土地所有(→ 封建制)を基礎として、領主が従属農民から封建地代を徴収する仕組みであるが、荘園の構成や経営内容は、領主制全体の変遷や地域差にともなって大きくことなっている。
8~10世紀のカロリング時代(→ カロリング朝)には、修道院や国王の所領を中心にして、古典荘園制ないしビリカチオン制とよばれる大規模な荘園が一般的だった。個々の領主の所有する古典荘園は、全体では1000ha以上におよぶことが多いが、一円的な所領ではなく、何カ所かに散在する単位荘園から構成されていた。各単位荘園は、領主直営地と領主に隷属する農民世帯に個別にゆだねられた農民保有地とにほぼ等分されていた。 荘園経営の中心は領主直営地にあり、そこからの収穫が領主のおもな収入だった。また荘園における労働は、領主の家内奴隷のほか、おもに隷属農民に課せられた賦役(ふえき)によっておこなわれていて、その内容は、領主直営地の農作業や荘園内外の物資の運搬、手工業製品の製造など、領主の家計と荘園経営の全般におよんでいた。家内奴隷の存在とともに、このような賦役労働は、古代以来の奴隷労働の色彩を色こくのこしているということができる。
10世紀後半以降の社会の混乱と再編の中で、コンパクトな支配権を確立した在地領主の勢力が拡大してゆくが、その過程で、分散した大規模所領である古典荘園制は解体していった。同時に、古典荘園にかわって、領主と村落共同体が共同して運営する村が領主の荘園経営や農民生活の枠組みとなった。 このような新しい荘園では、領主農民関係にも変化が生じた。そこでは人口増加や大開墾運動の結果、開墾集落の入植者にあたえられた優遇的特権が一般化したことが大きな影響をあたえた。農民は、かつての賦役労働にかわって、各農家が保有する耕地でとれる収穫の中から定率ないし定量の現物貢租や定額の貨幣地代を領主におさめるようになった。こうして賦役労働は、農民の保有する土地に対する貢租ないし地代へと変貌(へんぼう)していった。 領主直営地の経営はかならずしも放棄されたわけではないが、そこではもはや隷属農民ではなく、雇用された賃金労働者によって農作業がおこなわれるようになった。しかし農民の多くは、農奴とよばれる隷属的身分に属していて、領主の人身的支配や裁判支配に服し、財産相続や土地からの移動を制限された不自由民だった。
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