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Windows Live® の検索結果 平安時代における貴族住宅の形式。平安京の大路小路でかこまれた土地単位である方一町(約120m四方)を敷地の基準とし、東西対称の平面構成と、室内が固定した間仕切によってしきられていない特徴をもつ。 主屋である寝殿は敷地の中心に南面し、その東西に対屋(たいのや)という副屋をおいて、各棟を渡殿(わたどの)という廊でつなぐ。東西の対屋からは南に中門廊がのびて、池がほられた寝殿の南庭を区画し、この中門廊の中ほどにひらかれた中門が建物の入り口の役割をはたす。敷地の周りをかこう塀には、中門に対応するかたちで東西にだけ門がひらかれる。建物は古代的な母屋と庇の構成からなり、内部は一室空間であった。板敷床に丸柱からなる内部は、移動可能な建具、調度品、座具により、目的に応じてしつらえられた。 こうした形式は10世紀半ばごろに成立したと考えられているが、実際には左右対称をまもった例は発見されていない。これは儀礼上の使用と平面構成とのずれに原因があるようで、平安中期以降、藤原氏の最有力者がくらした東三条殿(ひがしさんじょうどの)も東側にかたよった配置をもっていた。平安時代末期になると、儀式の衰退と生活様式の変化にともなって、建物の簡略化、儀式の場と居住の場の分離、間仕切の固定化による各室への分化がおこり、この変化は中世住宅の段階をへて書院造へとつながっていく。
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