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Windows Live® の検索結果 仏教はキリスト教やイスラム教などにくらべると、きわめて宗教的には寛容である。仏教自身が興起したインドにおいても、8世紀に密教が成立すると、ヒンドゥー教や民間信仰の神々を数多くとりいれて、仏教の守護神としたり、大日如来の化身としたりした。チベットにはいった仏教は、古くからチベットにあったボン教をとりいれて、新しい仏教をつくった(→ チベット仏教)。中国では、その独自性こそうしなわなかったものの、儒教に対して、仏教も「孝」の思想を重視することをしめすために、「父母恩重経(ぶもおんじゅうぎょう)」に代表される偽経や、敦煌出土の変文(へんぶん)にみられるような、「孝」を前面にだした変文をつくった。 日本でも、「日本書紀」巻21の用明天皇紀に「天皇、仏法を信じ、神道をとうとぶ」とあるように、神道という古来の民俗宗教と仏教が矛盾なく信仰されている様子がしめされている。奈良時代にはいると、たとえば藤原氏が氏寺としての興福寺と、氏神としての春日大社を同時にまつったように、大寺院の鎮守社としての神社と、官国幣社(→ 式内社)に奉仕するための神宮寺などが成立し、神のための納経がおこなわれるようになった。 平安時代にはいると、延暦寺と日吉大社、東寺と伏見稲荷の関係のように、この傾向はいっそう強まり、神前において読経をしたり、神に対して菩薩(ぼさつ)号をつけたりした。これは、仏教の仏を本地(ほんじ)すなわち本源とし、神道の神をその垂迹(すいじゃく)すなわち衆生を救済するために仏や菩薩がとった具体的姿とする、本地垂迹思想の成立にもよるが、むしろ、同一経済集団(氏族)による、神社と寺院の経営に基礎をもつものと考えられる。天台宗が山王一実神道(→ 山王神道)、真言宗が両部神道を成立させ、これらは神仏分離政策(→ 廃仏毀釈)がおこなわれる明治維新までつづいた。 → 垂迹美術
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