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Windows Live® の検索結果 1522~91 安土桃山時代の茶人で茶の湯の大成者。和泉堺(大阪府堺市)の町衆田中氏の出身。千宗易(そうえき)と号した。武野紹鴎について茶の湯をまなび、織田信長・豊臣秀吉につかえて天下一の茶頭(さどう:茶の湯の師匠)となる。 とくに秀吉には重用され、たんなる茶頭という地位をこえて、秀吉の弟・秀長とともに、側近として秀吉の政治に深くかかわった。1585年(天正13)、秀吉が関白就任を記念しておこなった朝廷での茶会では、天皇から利休の居士(こじ)号をあたえられて秀吉の後見をつとめた。また、87年の秀吉による全国統一を誇示した有名な北野大茶湯では、中心になって会を演出し、茶の湯の最盛期をきずいた。 しかし1589年、秀吉の怒りにふれて堺で蟄居(ちっきょ)、ついで死を命じられた。その罪状は、利休の亡父の50年忌に大徳寺山門を修築した際、そこに自分の木像を安置したこと、不当な値段で茶器を売買したことなどとされたが、実際には秀吉との間に茶の湯をめぐる考え方の対立が生じたことと、政権内部の権力闘争にまきこまれた結果とみられている。 利休は侘茶(わびちゃ)を大成し、それまでの名物中心の茶の湯に対して妙喜庵(あん)待庵に代表される草庵の茶室を考案、茶会の形式や作法、道具にいたるまで独創的な工夫をこらし、また禅の精神を茶の湯にとりいれた。弟子に古田織部、細川三斎(忠興)、山上(やまのうえ)宗二らがいる。
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