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    大安寺の前身、大官大寺は天香久山の南700メートル、高市郡明日香村大字小山にあり、水田の中に金堂跡・塔跡の基壇が残っています。発掘調査は奈良国立文化財研究所により、昭和49年から57年まで毎年継続して行われ、東西二町・南北三町の寺域 ...

  • ASUKA/daikandaizi

    大官大寺金堂跡 大官大寺 史跡 明日香村小山 平城京の大安寺の前身である。高市大寺(たかいちだいじ)ともよばれ、天武末年(682年ごろ)には、ある程度形を整えていたらしいが、造営は8世紀の初めまで続いた。

  • 大安寺 - Wikipedia

    大官大寺も平城京左京六条四坊の地へ移転し、大安寺となった。平城京への移転の年次については正史『続日本紀』には記載がなく、いくつかの説があるが、霊亀2年(716年)の移転とみるのが通説とされている。

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大官大寺

大官大寺 だいかんだいじ
百科事典項目

大和国高市郡(奈良県明日香村)にあった古代寺院で、奈良大安寺の前身。「日本書紀」によると、617年(推古25年)に厩戸皇子(うまやどのおうじ:聖徳太子)が平群郡熊凝村(へぐりぐんくまごりむら:奈良県大和郡山市)にたてた道場を起源とし、639年(舒明11年)に百済川(くだらがわ)近くにうつって百済大寺と称したという。673年(天武2年)大和国高市郡にうつって高市大寺となり、677年に大官大寺とあらためた。飛鳥寺川原寺薬師寺とともに藤原京四大寺のひとつとなり、とくに国家最高ランクの官立寺院として国家的法要や護国祈願をおこなった。

文武朝(697~701年)には方4間の九重塔、4間×9間の金堂を新築したというが、711年(和銅4年)に伽藍を焼失。716年(霊亀2年)本部を平城京にうつして大安寺と改称した。これまで発掘された大官大寺跡の寺域はおよそ南北400m、東西270m。回廊・金堂(こんどう)・東塔は完成直前に焼亡しており、南門・西塔跡はみつからなかった。1997年(平成9年)、奈良県桜井市の吉備池廃寺で飛鳥時代では最大規模の金堂基壇や、30m四方もある巨大な塔基壇が発見され、「日本書紀」に九重塔をもつと記された百済大寺跡の可能性が指摘されている。

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