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  • 田能村竹田 - Wikipedia

    田能村竹田 (たのむら ちくでん、 安永 6年 6月10日 ( 1777年 7月14日 ) - 天保 6年 8月29日 ( 1835年 10月20日 ))は、 江戸時代 後期の 南画 ( 文人画 )家。 幼名 は磯吉、後に玄乗、生蔵。名は孝憲。字は君彜(くんい)。通称は竹蔵。

  • 大東文化大学 浜口俊裕 電子ギャラリー 田能村竹田筆 伊勢 ...

    伊勢物語 第9段 業平東下り図 田能村竹田筆 1777~1835(安永6年~天保6年) 享年59才。 文化元(1804)年、28歳の作品 紙本・着色 一軸 38.5×23.5cm 図像は『伊勢物語』第9段東下りにおける次の一節をモチーフにする。

  • 大分県竹田市公式サイト/竹田市立歴史資料館

    竹田市立歴史資料館 歴史資料館には、田能村竹田の書画、瀧廉太郎、朝倉文夫、広瀬武夫ら先達を偲ぶ資料や、岡城の模型、武具類のほか多数の出土品を展示しています。 所在地 竹田市大字竹田2083番地

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田能村竹田

田能村竹田 たのむらちくでん
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田能村竹田「亦復一楽帖・牡丹図」田能村竹田「亦復一楽帖・牡丹図」

1777~1835 江戸後期の文人画家。名は孝憲、字(あざな)は君彝(くんい)。豊後国(大分県)竹田村の岡藩々医の家に生まれる。医業はつがずに、22歳のときに藩校由学館の儒員となり、20代から江戸や京坂の文人たちとひろく交流をもった。ことに1813年(文化10)職を辞してからは、詩書画を中心とする生活にはいり、三都の文人たちとひろく交流しながら、中国文人画の正統をまなぶことにつとめた。

「松巒(しょうらん)古寺図」などのほか、「船窓小戯帖」や「亦復一楽帖(またまたいちらくちょう)」などの画帖の小品にも佳作が多い。著作に「山中人饒舌(さんちゅうじんじょうぜつ)」や「竹田荘師友画録」のような絵や画家に関するもののほか、「填詞(てんし)図譜」など詩文に関するものもある。

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