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Windows Live® の検索結果 生没年不詳。琳派を創始した桃山から江戸初期の画家。京都の富裕な町衆の家に生まれ、既成の流派に属さずに、絵具を重ねてにじませる「たらし込み」の手法などで、やまと絵に新風をふきこんだ。1600年(慶長5)ごろからの約40年間が活躍期とされる。 画歴の前半期には、主として書家の本阿弥光悦のために金銀泥(きんぎんでい)絵や木版刷りの料紙装飾を手がけ、この期の代表作として「鹿下絵和歌巻」や「四季草花下絵色紙帖」などを生みだした。1621年(元和7)徳川秀忠夫人が再建した京都養源院の襖絵や杉戸絵の制作者に抜擢(ばってき)されたのち、町の絵師としては異例の法橋(ほっきょう)の位をさずけられた。 1630年(寛永7)、公家の烏丸光広による斡旋(あっせん)で、宮中に所蔵されていた「西行物語絵巻」を模写。また、同年に後水尾院のために金屏風三双を制作するなど、後半生は宮廷関係の注文をうけて、本格的な屏風絵の大作をつぎつぎと制作した。代表作に「風神雷神図屏風」「関屋澪標(せきやみおつくし)図屏風」「松島図屏風」などがあり、いずれも古典的な題材をあつかいながら、意匠的に卓越した斬新な造形をみせている。 水墨画では中国南宋の禅僧画家、牧谿の影響をうけて、「蓮池水禽(れんちすいきん)図」などの名作をのこしている。古典的な物語をえがいた扇面画や色紙絵にも優品が多数あり、主宰する工房「俵屋」には、幾人かの弟子たちがはたらいていたと考えられる。
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