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Windows Live® の検索結果 岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町にある天台宗の東北大本山。山号は関山。前九年の役と後三年の役以来の敵味方の霊をとむらうため、1105年(長治2)藤原清衡が建立。堂宇は25年(天治2)ほぼ完成し、以後も基衡・秀衡によって造営がつづけられ、堂塔40余宇、僧坊300余宇の大寺院となった。1337年(延元2・建武4)野火で堂塔の大半を焼失し、創建当初のものは金色堂(こんじきどう:国宝)と経蔵(重要文化財)だけである。 中尊寺は現在、約110haの境内地に1909年(明治42)再建の本堂、金色堂、不動堂、収蔵および展示館である讃衡蔵(さんこうぞう)といった主要堂舎があるが、59年(昭和34)からはじまった発掘調査により伝古経蔵跡、伝金堂跡、伝多宝塔跡、三重の池跡などが検出され、主要な遺構が現在の建物や支院と重なって未確認とはいえ、その規模の壮大さがいっそうはっきりしてきている。なお、境内をふくむ一帯は特別史跡に指定されている。 金色堂は光(ひかり)堂ともいわれ、1124年(天治元)に清衡によって造立された、方三間、宝形造(ほうぎょうづくり)の阿弥陀(あみだ)堂である。堂の四壁と内部の床・天井を黒漆でぬり、金箔をおしたことから名づけられた。内部中央と左右の3つの須弥壇(しゅみだん)の下にはそれぞれ清衡・基衡・秀衡3代のミイラをおさめている。各須弥壇には阿弥陀三尊・六地蔵・二天王像を安置する。堂内の長押(なげし)、柱、須弥壇などに金蒔絵・螺鈿などをほどこし、要所に宝相華文(ほうそうげもん)を透し彫りした金具をうって装飾するなど、平安末期の工芸の粋をあつめたものといえる。1288年(正応元)に北条氏が覆(さや)堂を建立して金色堂をおおったが、現在は新しいものにかわった。 そのほか、「中尊寺経」と俗称され現在はその大部分の4200巻を高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)で保管している「紺紙金字一切経」(国宝)は、清衡以下3代がおさめたものとして有名。中尊寺では、今日15巻の「中尊寺経」を所蔵している。
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