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道真は、生前の人柄から、正直や孝行をよろこぶ神とも考えられ、それが発展して、起請(きしょう)の神ともされた。また、一流の学者であったことから、学問や芸道の神としても崇拝された。室町時代からは、和歌の神・書道の神という信仰も盛んになり、北野天満宮では、神前での連歌(れんが)の会合がもよおされた。
天神を詩文の神とする信仰は、禅宗の僧侶(とくに五山僧)たちにも受容され、渡唐(ととう)天神が考えだされる。実際には、中国にわたったことのなかった道真ではあるが、天神としては1241年(仁治2)に宋(そう)にわたり、径山(きんざん)の無準(ぶじゅん)に参禅して印可(いんか:悟りをひらいた印)をえたとされ、梅の小枝を手に唐衣(からころも)をまとう中国風な天神の画像をえがき、礼拝の対象とした。 このほか、綱敷(つなしき)天神・水鏡(すいきょう)天神・飛梅(ひばい)天神など、さまざまな伝承にもとづく天神像がえがかれた。
江戸時代には、道真の伝記や物語がたくさんつくられ、浄瑠璃の「天神記」(近松門左衛門作)や歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」(竹田出雲ら作)などが上演されたことにより、天神信仰はいっそうひろまった。また、寺子屋教育の普及によって、庶民の子供たちにも、手習い(習字)の神として崇敬された。 今日でも、学問の神とするのが一般的で、とくに受験のシーズンには合格祈願の神として多くの参詣(さんけい)者をあつめている。 → 天満宮
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