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粘土をこねて形をつくり、乾燥させて焼きあげた、釉薬をかけない素焼きの容器。 食物を煮炊きし、飲み水を冷たくたもつことができる土器の誕生によって、食生活はより安全に、豊かになった。イギリスの考古学者チャイルドが指摘したように、土器とは、人類が化学変化を道具作りに応用した最初の革命的な出来事であった。 土器の多くは窯をつかわず、野焼き(たき火)の開放炎で焼かれる。焼成時間は1~5時間前後と短く、焼成温度も650~950°C未満で陶器や磁器(→ 陶磁器)にくらべて低い。粘土にふくまれる石英などの鉱物がとけてガラス化するまでにはいたらないが、火熱によってある程度変成・収縮し、水にもとけず火にかけてももえないかたい物質が生まれる。 土器には日本の縄文土器、弥生土器(やよいどき)、土師器(はじき)、沖縄八重山のパナリ焼、中国や西アジアの彩文土器、南太平洋のラピタ土器など、時代と地域によって数多くの種類・様式がある。古代中国には、表面を貝殻でみがいてから真っ黒にいぶし焼きした「黒陶」や、鉄分のきわめて少ない白い粘土でつくった「白陶」、赤や黒の顔料で文様をえがいて焼きあげた「彩陶」とよばれる土器もあった。日本では土器は「かわらけ」ともよばれ、古い神社では神饌の容器として今もつくられ、つかわれている。東南アジアや南アジア、パプア(→ ニューギニア島)、中南米、アフリカなどには、今でも土器をつくり、つかいつづけている村も多い。
土器がつくられる以前を先土器時代というが、そのような時代にも、大型の木の実の殻(から)や大型鳥の卵殻、獣皮の皮袋や胃袋などを利用して多様な容器がつくられていた。樹皮や蔓(つる)や草をあんだ、さまざまな形と文様の籠類も発達していた。細かくあんだ籠の内側に粘土をぬりこめると、水もれしにくい容器ができる。それが火事で焼け、偶然に土器が発明されたという説もある。チェコでは2万7000年前の遺跡から、地母神像(土偶)やそれを焼いた炉(窯)の跡が出土し、粘土でつくられたぶあつい炉壁は土器のように焼きしまっていたという。 土器の発明によって、はじめてやわらかい食物とスープが生まれ、いくつもの素材のうまみがとけあう「味覚の革命」がおこったという説がある。しかし、先土器時代にも岩のくぼみや皮袋に水と食物をいれ、焼け石をほうりこんで沸騰させる調理法はあった。むしろこうした単発的な煮炊きの経験によってやわらかい肉やおいしいスープの味を知っていた人類が、いつでも食べられるように工夫を重ね、ついには土器を発明したと考えたほうが矛盾はない。 長い間、土器は世界各地の古代文明の発祥地でほぼ同時に発生したと考えられていた。しかし、日本列島の各地やロシアの沿海州、アムール川下流域、中国黒竜江省などから1万2000年以上も前の世界でもっとも古い土器が次々に出土し、土器の起源が東アジア東北部らしいことがわかってきた。今後、他の地域からさらに古い時代の土器が出る可能性もないとはいえないが、縄文土器は世界史上もっともはやく出現したもののひとつであり、その造形の確かさ、表現の豊かさ、力強さにおいて、世界に誇りうる美の宝であることはまちがいないだろう。
土器は時代や場所、用途によって形や文様、大きさがかわるので、出土する土器や土器片は、遺跡の年代や性格を推定する手がかりになるなど、考古学や歴史を研究するうえで重要な資料になっている。また、縄文土器のだいたんな造形美、弥生土器のシンプルな機能美など、古代土器の美的価値は近年ますます評価が高まっている。
縄文土器は、縄文時代に製作・使用された土器で、明治初年、アメリカの動物学者エドワード・モースが、大森貝塚の調査で出土した土器に縄目の文様が多かったことからcord marked pottery(縄目文様の土器)と記録。縄文土器という言葉はその訳語から生まれた。縄文土器には縄文(縄目文様)をもたず、棒や篠竹(しのだけ)で線刻したり、粘土紐(ひも)をはりつけたりして文様をつけた土器もあり、一般に縄文土器といえば、縄文時代につかわれていた土器を意味する。形態や文様は年代や地域によってバラエティにとみ、考古学では遺跡の年代を決定する重要な指標となっている。 縄文時代草創期~早期の土器は、ほぼ例外なく食物を煮るための深鍋(ふかなべ)であり、口径より器高のほうが大きい深鉢(ふかばち)であった。前期には盛り器としての浅鉢が登場する。それまで木製容器や葉の椀(わん)などにとりわけていたのが浅鉢に盛りつけられ、料理は視覚的な美も重要になった。縄文文化が隆盛をきわめた中期には土器文化もめざましい発展をとげ、火炎土器(→ 馬高遺跡)など造形的にも頂点に達するものが生まれた。器種もふえ、食器や貯蔵容器以外の祭祀(さいし)用土器、埋葬用の甕棺(→ 甕棺墓)など、さまざまな用途と器形の土器が生まれた。 後期~晩期の縄文土器は中期の文化を継承しながら、用途不明のさまざまな祭祀具や、香炉形土器、急須(きゅうす)や土瓶(どびん)にそっくりな注口土器(ちゅうこうどき)などもつくられた。晩期の東日本には亀ヶ岡式土器(→ 亀ヶ岡遺跡)に代表される薄手で精巧な磨研土器が完成。縄文土器としての爛熟期(らんじゅくき)をむかえるが、渡来人のもたらした水稲農耕文化(→ 稲作)の広がりとともに、弥生土器にとってかわられていく。
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