検索
エンカルタ内で検索 : 土佐派

Windows Live® の検索結果

  • 土佐派 - Wikipedia

    [編集] 流派解説 巨勢派 の 巨勢公望 の門人 春日基光 を流祖とし、数々の名手を世に送り出した流派。 本画派は、純日本的ないわゆる 大和絵 の伝法を樹立し、 平安時代 よりおよそ一千年の長きにわたって朝廷の 絵所 を世襲し、伝統と権勢を誇った流派で ...

  • 土佐派の家

  • 京都・鴨東古美術會 | 古美術・骨董用語 | 土佐派

    古美術用語解説|土佐派 ... 一般には土佐系図にのっている土佐家の歴代を中心としてその 門弟によってつくられている流派を土佐派とよんでいます。従って 平安時代後期から江戸時代までの大和絵の中心的な流派と され、むしろ大和絵はすべて土佐派である ...

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果

土佐派

土佐派 とさは
百科事典項目

室町時代にはじまる絵師の一派。土佐守藤原行広が土佐という名を名のったことにはじまる。行広から広周へ、他方、行秀から光弘をへて光信へと宮廷の絵所預(えどころあずかり)の職が継承されたと考えられている。光信は、1469年(文明元)に絵所預となり、その後、広周の所預を吸収し、14世紀中ごろの絵所預藤原行光を家系の祖とあがめ、土佐派の工房を確立した。伝統的なやまと絵をえがく土佐派の様式は光茂、光元へと継承されたが、1569年(永禄12)に光元が戦死して、絵所預の職をうしない断絶した。しかし、光茂の門人光吉は泉州堺に拠点をうつし、上層町衆の支持をえて活躍し、1634年(寛永11)には光則が京都に進出した。光則の子光起は、54年(承応3)に念願の絵所預に復帰して土佐派を再興し、幕末まで狩野派とならぶ画派を維持した。光吉の門人広通(住吉如慶)は、晩年に江戸にうつり土佐派の分派である住吉派をおこした。

項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2008 Microsoft