検索
エンカルタ内で検索 : 富岡鉄斎

Windows Live® の検索結果

  • 富岡鉄斎 - Wikipedia

    富岡 鉄斎 (とみおか てっさい、 天保 7年 12月19日 ( 1836年 1月25日 )- 大正 13年 1924年 12月31日 )は、 明治 ・ 大正 期の日本の 文人画家 、 儒学者 。日本最後の 文人 と謳われる。

  • 富岡鉄斎とその芸術

    富岡鉄斎(天保7~大正13)は京都に生まれ、若くして学者を志し、大鳥神社の宮司などを勤めながら殆ど独学で絵の勉強をしました。明治14年、46歳の時に京都へ帰り、その後本格的に画業にいそしみました。そして89歳で没するまでに数多くの作品を描き ...

  • 歴史上の人物と和菓子 -富岡鉄斎と虎屋饅頭 ...

    富岡鉄斎(1836~1924)は、奔放な筆使いによる独自の作品を数多く手掛けた日本画家です。虎屋京都店の近くに居を構え、当時の支配人黒川正弘に絵の指導をするなど虎屋とは縁の深い方です。そうした繋がりから、鉄斎の書斎改築の際には、京都店の離れや ...

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果

富岡鉄斎

富岡鉄斎 とみおかてっさい
百科事典項目

1836~1924 文人画家。明治維新後、名を百錬、号を鉄斎とし、鉄史、鉄崖などの別号をもちいた。京都に生まれ、幼時から富岡家の家学である石門心学に接したのち、青年時代に国学、漢学、陽明学、仏教など幅ひろく学問をおさめた。絵画は小田海僊のほか、1861年(文久元)に長崎に遊学して日高鉄翁、木下逸雲の指導をうけたが、ほとんどは独学で、多くの明清画にふれながら画技をみがいた。

1876年(明治9)に大和石上神宮、ついで和泉大鳥神社の宮司となり、81年に辞職して、以後文字どおり文人生活をおくった。94年から1904年まで、京都市美術工芸学校で修身をおしえ、1897年には田能村直入(ちょくにゅう)らと日本南画協会を結成、美術界とは距離をおきながらも、画家として名をあげていった。深い学識を背後にもつ鉄斎の作品は、古今のさまざまな画技からまなんだ近代の文人画として評価され、1917年(大正6)帝室技芸員、19年には帝国美術院会員に選出された。代表作には「旧蝦夷(えぞ)風俗図」(1896)などがある。

項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2008 Microsoft