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Windows Live® の検索結果 栃木県日光市山内にある徳川家康をまつった神社。家康の遺言は、遺骸を駿河国久能山(くのうさん:静岡市)に埋葬し、葬儀は江戸の増上寺でとりおこない、位牌を三河国大樹(たいじゅ)寺にたて、1周忌後に下野(しもつけ)国日光山に小堂をたてるというものだった。日光山ははやくから知られた神仏混淆(こんこう)の霊場で、関東の名山として武家の信仰をあつめていた。1616年(元和2)4月17日に死去した家康は久能山に神としてまつられ、朝廷から東照大権現(だいごんげん)の神号をうけた。その年のうちに日光山で工事が開始され翌年落成、東照社と称され、家康の遺骸は1周忌を機に久能山から改葬された。 家康を深く尊敬する3代将軍家光は、1634年(寛永11)に幕府の総力をあげて大改築をおこなった。工事資金は金56万8000両、銀100貫目、米1000石にものぼり、延べ450万人が動員され、工期はわずか17カ月というスピード工事だった。その後、数回改修工事がおこなわれているが、現在の社殿はこのとき以来のものである。 1646年(正保3)以降、毎年、朝廷から日光例幣使が派遣されるようになり、幕末までつづいた。将軍や諸大名の参詣は日光社参とよばれ、そのために日光道中が整備された。現在5月17日におこなわれる千人武者行列は、2代将軍秀忠の最初の社参行列をつたえたものといわれる。諸大名はきそって領内に東照宮を勧請(かんじょう)したため、全国各地に東照宮が存在する。 日光東照宮の建築は、石鳥居から表門、色彩豊かな陽明門をへて本殿にいたる部分と、本殿の背後にある奥社にわけられる。本殿と拝殿の間を石の間でむすび、エの字形につらねた本社は、権現造(ごんげんづくり)の典型で、正面・背面の唐門、東西透塀(すきべい)、陽明門、東西回廊はいずれも国宝である。また、日光へむかい今市(いまいち)で合流する3本の街道の杉並木は、1625年(寛永2)以降、松平正綱が寄進したものである。 明治維新後は神仏分離によって、輪王寺、二荒山神社から分離して別格官幣社となり、堂塔のうち薬師堂、鐘楼、鼓楼、五重塔はのこされて神仏習合の様相をとどめている。1999年12月に二荒山神社、輪王寺とともに日光の社寺として世界遺産に登録された。
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