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  • 橋本雅邦 - Wikipedia

    橋本 雅邦 (はしもと がほう、男性、 天保 6年 7月27日 ( 1835年 8月21日 ) - 明治 41年( 1908年 ) 1月13日 )は、明治期の日本画家。幼名は千太郎。号は 勝園

  • 橋本雅邦

    橋本雅邦 ハシモトガホウ Hashimoto, Gaho 1835年08月21日~1908年01月13日 [日本] [絵画]

  • 物故日本画家-橋本雅邦(1835-1908) - [日本画]All ...

    [最新展覧会情報]展覧会名:開館5周年記念特別展 没後100年 橋本雅邦展/会期:2008年1月12日(土)~3月9日(日)/会場:川越市立美術館

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橋本雅邦

橋本雅邦 はしもとがほう
百科事典項目

1835~1908 日本画家。川越藩の絵師橋本晴園養邦の子として、江戸木挽(こびき)町の狩野邸内に生まれる。1847年(弘化4)狩野勝川院雅信に入門し、狩野芳崖とであって生涯の友となった。2人は塾内で頭角をあらわし、勝川門下の二神足とたたえられるようになる。維新後の71年(明治4)海軍兵学寮に出仕。84年にはフェノロサの鑑画会に参加し、芳崖とともに日本画の革新にあたった。86年、海軍兵学校(海軍兵学寮の改称)を辞し、89年からは東京美術学校で狩野派の教授として教鞭をとった。

1890年の第3回内国勧業博覧会に「秋景山水図」、95年の第4回内国勧業博覧会に「釈迦十六羅漢」を出品して、ともに妙技1等賞を受賞。98年岡倉天心が美術学校を辞任したのにしたがって辞職し、天心とともに日本美術院の創立に尽力して、主幹となった。教育者としてもすぐれ、横山大観菱田春草など多くの画家を育成した。代表作に「白雲紅樹」(1890)などがある。

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