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Windows Live® の検索結果 1539~1610 桃山時代の画家。能登(石川県)七尾城主畠山氏の家臣、奥村文之丞宗道の子で、のち染物業をいとなむ長谷川宗清の養子となった。幼名は又四郎、のち信春。 1571年(元亀2)ごろ京都にでて、寺社や豪商などが所蔵していた宋・元の名画や、狩野永徳をはじめとする同時代の新しい絵画動向に多大な影響をうけながら、飛躍的に画業を発展させた。代表作の「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」「枯木猿猴(こぼくえんこう)図」や、祥雲寺障壁画の「楓図襖(かえでずふすま)」「松に黄蜀葵図」(ともに現在は智積(ちしゃく)院蔵)などは、いずれも50歳以降の作品と推定されている。等伯の談話を日通上人がつづった「等伯画説」は、日本初のまとまった画論として注目される。
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