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古墳の墳丘上や周囲にたてならべられた土製の造形物。その種類は大別して円筒埴輪と形象埴輪がある。
円筒埴輪は筒形で、外側に突帯とよばれる箍(たが)を数本まわし、突帯の間に三角形や円形、方形の穴をあけている。口の部分が大きく外反している朝顔形円筒埴輪は、それらの器台形土器に壺(つぼ)をのせて一体化したものではないかといわれる。形象埴輪は、モチーフによって家形、器財、動物、人物埴輪の4つにわけられる。家形埴輪の場合、屋根が切妻、寄棟(よせむね)、入母屋(いりもや)をとるもの、床は高床式と平床式がみられる。大阪府八尾市の美園古墳出土の家形埴輪は、高床式建物で屋内に寝台をつくりつけてあった。器財埴輪は蓋(きぬがさ)、翳(さしば)、掛け、琴、盾、舟、大刀などバラエティにとむ。動物埴輪にはウマ、ウシ、シカ、イノシシ、魚、水鳥などがあり、馬形埴輪には馬具をつけたものも多い。人物埴輪は座像より立像が多いが、正座して頭をたれる武人像やすわって琴をひく女人像などもみられる。貴族、武人、巫女(みこ)、女官などの支配階級層や首長層に近い人物だけでなく、農民や子守、兵士などの一般民衆も埴輪のモデルになった。ともに6世紀の埼玉県の酒巻古墳や和歌山県の井辺八幡山古墳(いんべはちまんやまこふん)からは、まわしをつけて相撲をとる人物埴輪像もみつかっている。
「日本書紀」は、垂仁天皇32年に野見宿禰(のみのすくね)の意見をいれて殉葬者のかわりに土製の焼きものをおくことにしたというが、考古学的には、この説はみとめられていない。円筒埴輪は弥生時代後期(2~3世紀)に岡山県であらわれた特殊器台とよばれる器台形土器が発達したという説が有力で、形象埴輪については弥生時代後期の岡山県の女男岩遺跡(みょうといわいせき)の家形土器や同じく楯築遺跡の人形土製品、福岡県の津古生掛古墳のニワトリ形土器などにはじまるとする説もある。 円筒埴輪は4世紀に生まれ、同時に家形埴輪、蓋、楯など器財埴輪もあらわれる。5世紀になると馬形埴輪や人物埴輪がみられ、6世紀に人物、動物埴輪がもっともさかんにつくられた。7世紀になって前方後円墳がつくられなくなるためか、埴輪も姿をけす。
埴輪はふつう墳丘の斜面にめぐらされるが、頂上部に器財埴輪や家形埴輪をおくものもみられる。兵庫県の五色塚古墳ではこの配列のようすがていねいに復元されて公開されている。このような配置から埴輪をおく意味について、葬儀の列をあらわすという説、死者の魂をなぐさめるためという説、首長権の継承儀礼とする説などがだされているが定説はない。埴輪の具体的な表現は、当時の服飾、美術、建築、木工、生活史など各分野の貴重な研究材料となっている。
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