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  • 平賀源内記念館

    源内工房に源内焼などの展示コーナーを充実しました。旧邸で薬草茶を飲みながら、ご鑑賞下さい。 ... 源内祭 1-1 記念館本館 2-1 ゆかりの薬草園 源内塾 ゆかりの史跡 追善法要 1-2 記念館全体図 2-2 平賀源内銅像

  • 平賀源内 - Wikipedia

    平賀 源内 (ひらが げんない、 享保 13年( 1728年 )- 安永 8年 12月18日 ( 1780年 1月24日 ))は 江戸時代 の 日本 の 本草学者 、 蘭学者 、 医者 、 作家 、 発明家 、 画家 (蘭画家)である。諱は 国倫 (くにとも) [1] 、号は 鳩渓 (きゅうけい)・ 風来山人 [1 ...

  • “土用の丑とうなぎ”のルーツを探る! コラム ~鰻の話と味処 ...

    ただ、平賀源内が“名コピーライター”であったことは確かなようで、歯磨きや餅菓子の宣伝文を書いた“引札”(チラシ広告の原形)が残っているという。「エピソードの真偽は別として、200年以上経った今でも、土用丑の日にうなぎを食べる習慣が継承 ...

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平賀源内

平賀源内 ひらがげんない
百科事典項目

1728~79 江戸中期の博物学者・戯作者(戯作)。名は国倫(くにとも)、通称源内、鳩渓(きゅうけい)と号した。風来山人・福内鬼外などの筆名ももちいた。高松藩の足軽の子として生まれ、長崎留学後、江戸にでて本草(ほんぞう)学や儒学をまなぶ。

1757年(宝暦7)師の本草学者田村藍水(らんすい)とともに日本で最初の物産会を開催し、のち出品物の解説集「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」を刊行。61年に高松藩を離職、浪人の身で輸出用の陶器製作や毛織物生産、秩父・秋田での鉱山開発などをてがけるが失敗におわる。アスベスト(石綿)で耐火織物の火浣布(かかんぷ)を製作したり、エレキテルと称する静電気発生装置での医療を宣伝したりもしたが、世間の注目をあつめたにすぎなかった。

滑稽(こっけい)本の「根南志具佐(ねなしぐさ)」「風流志道軒伝」や浄瑠璃「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」では文才を発揮し、風刺のきいた狂文集「放屁論」など、文学者としては独自の成果をあげている。また西洋画を習得して、小田野直武秋田蘭画に影響をあたえた。あやまって人を殺したことから、小伝馬(こでんま)町の牢内で病死をとげた。

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