検索
エンカルタ内で検索 : 蕪村

Windows Live® の検索結果

  • 与謝蕪村 - Wikipedia

    与謝 蕪村 (よさ ぶそん、よさの ぶそん、 享保 元年( 1716年 ) - 天明 3年 12月25日 ( 1784年 1月17日 ))は、 江戸時代 中期の 日本 の 俳人 、 画家 。 本姓 は谷口、あるいは谷。「蕪村」は 号 で、名は信章 通称 寅。「蕪村」とは中国の詩人 陶淵明 の詩 ...

  • 京都六角のおかき処『蕪村菴』のオンラインショップ ...

    京のおかき処蕪村菴,つくりたてのおかきを京都から ... 手返しの技 門前焼 おいしさの決めては「焼き」の技術。下火だけで片面ずつ焼きながら頃合いをみておせんべいをひっくり返す。

  • 蕪村論と石華舎目録

    近世中興俳諧・絵画資料のデジタル教材化の開発研究 (与謝蕪村に関する論考と石華舎目録) [In English] Hiroo Saga 江戸川大学サテライトセンター公開講座「与謝蕪村の俳句と絵画、その魅力と真贋」2008年4月に開講 蕪村論

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果

蕪村

蕪村 ぶそん
百科事典項目

1716~83 江戸中期の俳人・画家。姓は谷口、のち与謝(よさ)を名のる。俳号は宰町・夜半亭(2世)、画号は春星・謝寅(しゃいん)など。門下からは几董(きとう)・月居らがでた。また上田秋成との交遊も知られている。後年「春風馬堤曲(ばていのきょく)」の舞台となる摂津国毛馬(大阪市)に生まれた。わかいころ江戸にでたが、1751年(宝暦元)に京にのぼった。54~57年に丹後国(京都府)宮津、66~68年には讃岐国(香川県)に滞在した。

1766年(明和3)、太祇・召波(しょうは)らと「三菓社」を結成して俳人として活動、さらに尾張国(愛知県)の暁台(きょうたい)、伊勢国(三重県)の樗良(ちょら)らとまじわり、俳諧の「中興期」とよばれる安永・天明期(1772~89)を代表する俳人となった。77年には「夜半楽」を刊行。83年9月、きのこ狩りにいって「宇治行」をあらわしたが、のち病にたおれ、「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」など3句をのこして12月に没した。翌84年、几董の編により「蕪村句集」が刊行された。

すぐれた画家でもあった蕪村の代表作には、「菜の花や月は東に日は西に」「五月雨や大河を前に家二軒」など、絵画的な光景をよんだものが多い。また「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」「行(ゆく)春や撰者をうらむ哥(うた)の主」など、歴史的な光景を想像してよんだ句も有名である。ほかに、「春風馬堤曲」のような俳詩もあり、なかでも「君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に何ぞはるかなる」とうたう「北寿老仙をいたむ」は近代詩を思わせる作品として特筆される。絵画では「蘇鉄図」「夜色楼台図」、池大雅との合作「十便十宜図」などが代表作としてあげられる。

項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2009 Microsoft