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項目構成
日本の蒸し風呂の原型といわれるのが、京都郊外の八瀬(やせ)につたわる竃(かま)風呂である。まんじゅう形につくった荒壁の竃の中で、生木や葉をたき、その灰をかきだしたあとに、塩水でしめらせた筵(むしろ)をしいて、その上に横になり、蒸気をあびた。これと類似した蒸し風呂が、石風呂、岩風呂、穴風呂などの名称で日本各地にのこっている。 奈良時代以降の寺院でも蒸し風呂はつくられ、17世紀に建築された西本願寺飛雲閣の黄鶴台にある蒸し風呂の場合は、板壁と板戸でかこわれた浴室の床を簀の子にして、下の釜(かま)からあがってくる蒸気をあびるようになっている。このほか、江戸で最初に開業した銭湯も蒸し風呂であった。
鎌倉時代に再建された東大寺大湯屋は、日本に現存する浴室のもっとも古い例で、大湯屋の中央の浴室の床に鉄製の浴槽がうめこまれている。横のかまどでわかした湯を、浴槽にうつして利用するようになっていた。なお、遺構として発見されたものでもっとも古いものは、平安前期の湯屋が京都府向日市の宝菩提院廃寺(ほうぼだいいんはいじ)の跡からみつかっている。井戸のほか、覆屋(おおいや)の中に口径1m以上の鉄釜で湯をわかせる大きなかまどがすえられ、撥水加工(はっすいかこう)された石敷きの水場もあった。 江戸初期の銭湯にみられる戸棚風呂は、浴槽に30cm程度しか湯をためず、下半身は湯につかり、上半身は蒸気をあびる蒸し風呂と湯風呂の中間的なものであった。 のちに肩まで湯につかる、ざくろ風呂が登場する。これは、浴槽の三方を壁でかこい、前面にざくろ口とよばれる背の低い入り口をもうけて、蒸気がにげたり、湯の温度がさがるのをふせぐようにしたものである。江戸時代の銭湯の多くは、この形式であった。 明治期になると、衛生上の問題から、この形式の風呂を改造するよう命令が出され、現在のような銭湯の浴槽になった。 風呂が一般の住宅にまで普及しはじめるのは、風呂桶用の大きな結桶(ゆいおけ)が量産されるようになった江戸時代後半以降のことである。江戸では結桶をつかった鉄砲風呂、関西では五右衛門風呂と形式はちがっていたが、燃料の確保が困難であったことから、普及は一部にとどまっていた。 都市部で現在のように内風呂が広く普及したのは、ガスが供給されるようになってからのことで多くは銭湯を利用していた。浴槽も今日ではホーローや繊維強化プラスチック(FRP)、ステンレスなどさまざまな材質のものがある。風呂、洗面、トイレが一室にくみこまれた欧米風のバスルームも一部に普及している。
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