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西洋文明の導入によって政治・経済制度が大きく変化し、人々の生活習慣にも影響した明治前期の社会動向。文明と開化という中国の古語をあわせた「文明開化」という新熟語は、福沢諭吉が「西洋事情」外編の中で英語のシビリゼーションの訳語としてはじめてつかったという。明治維新後のあいつぐ変化は文明国にむけての進歩だと喧伝されたこともあり、時代風潮を簡潔に表現する言葉として新聞・雑誌や小説に頻繁に使用され、当時の流行語となった。
明治前期、文明開化は俗謡にもうたわれ、とくに「チョンマゲ頭をたたいてみれば因循姑息(古いままぐずぐずしていること)の音がする、ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」は有名である。ザンギリ頭とは髷(まげ)をゆわない散髪のことだが、髪形が自由になるのは1871年(明治4年)で、帯刀しなくてよいとする脱刀の自由とあわせてみとめられている。これは苗字帯刀や髷の結い方なども制限された旧来の身分秩序を解体し、四民平等の理念をしめす政策としてうけとられた。新政府は廃藩置県の断行とともに、この散髪脱刀許可のほか職業・居住の自由などを保障する諸政策をとった。 こうして前代の江戸幕府の支配を否定し、天皇が支配する今の世は古い殻から解放される文明開化の世とする風潮がはじまった。新政府は西洋国家においつくために富国強兵をすすめ、殖産興業策をとり、文化政策として西洋の文物制度を積極的に導入していった。
西洋文明の導入と模倣は、新首都となった東京で顕著だった。1872年には鉄道が新橋~横浜間に開通している。東京での開業式は、鉄道建設の起点となる洋風建築の新橋鉄道館に天皇や各国公使が出席して華々しくおこなわれた。また同年の丸の内大火で焼けた京橋~新橋間が銀座煉瓦街(れんががい)として復興されている。お雇い外国人ウォートルスの設計と監督で、街路樹とガス灯のある舗道はパリに、西洋風煉瓦家屋の町並みはロンドンにならったものとなった。文明開化の新風俗は、同じころ大阪や京都や、横浜、神戸の開港交易都市にもひろがっていった。そして都市近くの人々が文明開化の華麗さを目にし、新聞・雑誌報道などで周囲から見物客があつまった。彼らは、浮世絵の伝統をひく手法でえがいた華やかな開化絵を見物みやげにもちかえっている。こうして、鉄道、郵便、電信など新しい交通・通信手段のほか、洋風建築、洋装に洋食などが地方へつたわっていった。
1872年12月3日、太陽暦の採用によって24時間の定時制が導入されると、文明開化と縁のなかった人々にもいやおうなしに生活の変化をおよぼした。さらに国民皆兵をめざした徴兵制(1873年)の施行、国民皆学を理念とした学制(1872年)による学校制度の変化、地租改正(1873年)による租税制度の激変などは、人々の生活基盤を混乱させた。急激な変化は江戸時代になかった新たな負担にもなり、これらの開化政策は広範な反対でゆさぶられた。 政府は、反対行動をおさえつつ開化政策を推進するが、やがて官主導体制を殖産興業などに転換する。国民は、明六社などの啓蒙活動で西洋の自由と権利の意味を知り、1870年代末から士族層を中心とした自由民権運動が、農村にも浸透していった。つづいて時代は自由民権運動の高揚期へとすすみ、明治初年以来のやみくもな西洋新文物の導入と模倣の時代はおわる。
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