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Windows Live® の検索結果 奈良県桜井市の三輪山西北部にある古墳時代前期を中心とする集落遺跡。1971年(昭和46)からの調査で護岸設備をもつ水路、汚泥をしずめるためと思われる集水マス、掘立柱建物跡など祭祀(さいし)的遺構がみつかり注目された。 さらに纏向石塚古墳、纏向矢塚古墳、勝山古墳という全長90m前後の出現期の前方後円形の古墳(墳丘墓)が3つあり、この地が奈良盆地内でもっともはやく王権が成立した地域ではないかといわれた。 出土した土器のうち、この地でつくられたものは纏向1~4式として、大和盆地内での古墳時代初頭の土器に位置づけられている。土器全体の2割近くは東海・瀬戸内・北陸・山陰など遠隔地からもたらされたものであった。そのため、この地がたんなる集落ではなく、交通の拠点として市場的な役割をもつ都市であり、現在では初期大和政権の中心的な都があったと考えられている。南1kmほどには3世紀後半の前方後円墳といわれる箸墓古墳があり、その関係からも大和政権説は有力視されている。 近年、纏向石塚古墳の発掘調査がおこなわれ、出土した土器からそれまで考えられていたよりも古い、3世紀前半築造の可能性が指摘された。また東南1kmほどのところに、木棺の放射性炭素(C14)年代測定法などで3世紀前半の築造であることが確実視されるホケノ山古墳がある。3世紀前半は卑弥呼の活躍した時代であり、邪馬台国論争(→ 邪馬台国)のうえからも注目されている。また本古墳やホケノ山古墳が箸墓古墳をはじめとする大型の前方後円墳の先駆けとなるものであることもほぼ確実となった。
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