Windows Live® の検索結果
Windows Live® の検索結果 ページ 2 / 2
項目構成
第2期は平城京遷都(710)までで、律令体制が一段とととのい、宮廷が繁栄したころで、和歌には力強さ、重厚さ、荘重さがくわわる。長歌が発達し、表現にもさまざまな工夫がみられるようになる。代表歌人は、柿本人麻呂、高市黒人、長意吉麻呂(ながのおきまろ)、天武天皇、持統天皇、大伯皇女(おおくのひめみこ)、志貴皇子などである。なかでも宮廷歌人として活躍した人麻呂の、枕詞、序詞、譬喩を独特な表現で駆使し、格調高く雄大に心情をよむその作風は、「万葉集」に一大転換点をもたらした。
第3期は733年(天平5)までで、大陸文化の影響をうけつつ、国風文化の自覚が生まれた時期である。歌は洗練されているが張りのある調べをもち、個性豊かな歌人たちにより、それぞれの独自の境地がうたわれた。叙景歌にすぐれた山部赤人、漢文学の素養を背景に、風流で抒情あふれる歌をよんだ大伴旅人や人生の苦悩をよんだ山上憶良、伝説をもとに鮮明な表現で長歌をよんだ高橋虫麻呂らがその代表といえる。
第4期は759年までで、天平文化の成熟期にあたるが、政権をめぐる争いのつづく不穏な時期でもあり、和歌も力強さをうしなって感傷的、繊細で優雅になる。代表歌人は、大伴家持と周辺の歌人の笠郎女(かさのいらつめ)や橘諸兄、湯原王(ゆはらのおおきみ)などである。また、この時期の作で特異な位地を占めるものに、巻14にある東歌や、兵として徴集され家族とわかれていく悲嘆の情をよんだ巻20などの防人歌など東国の歌がある。そのほか、時期を特定できない作者不明の歌が3分の1ほどあるが、その多くは集団的、民衆的な歌謡で、作風は野趣豊かで、生活感にあふれ、類型的ながら万人の共感をえられるものとなっている。
「万葉集」には、集団歌謡と個人の抒情をよむ歌が共存し、政治、文化の激動期の歌がふくまれ、日記・説話・物語など他ジャンルの芽生えともみられるものがある。このことから、「古今和歌集」以降の勅撰歌集にくらべて複雑な歌集といわれるが、その率直な表現はとくに中世以降の歌人や国学者をひきつけてやまず、本格的な研究でもっとも古いものには1269年(文永6)の仙覚(せんがく)による「万葉集註釈」、近世には契沖の「万葉代匠記」などがある。 近代にはいると正岡子規らが万葉集を重んじ、その業績はアララギ派(→ アララギ)の歌人にうけつがれた。また斎藤茂吉の「万葉秀歌」(1938)はよく知られる。戦争中は日本人の心の支えとしてもよまれ、今も多くの人に愛読されている。
© 1993-2009 Microsoft Corporation. All Rights Reserved. |
© 2009 Microsoft
![]() ![]() |