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  • 木綿 - Wikipedia

    コットン は、この項目へ 転送 されています。その他の用法については「 コットン (曖昧さ回避) 」をご覧ください。 この項目では、ワタの種子から取れる繊維の 木綿 (もめん)について説明しています。 パンヤ科の落葉高木、およびその種子から取れる ...

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  • 木綿ひとくちメモ

    尚、瀧田家の廻船は木綿を江戸に送ることに重きを置かず、一方、明治時代初期に廻船業に見切りをつけて木綿問屋を始めたことは、成り行きとは言え興味深いことです。 ●参考文献 知多半島の歴史と現在No.13 曲田浩和・高部淑子

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木綿

木綿 もめん
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

ワタの繊維からつくられた綿織物のこと。たんに綿(めん)、綿布(めんぷ)ともいい、あるいは英語のコットンももちいる。ワタの繊維は紡績しやすく、吸湿性と保温力にすぐれ、丈夫で洗濯にもたえるため、衣料品をはじめ寝具、日用品類のほか、工業用品などにもひろくもちいられる。

II

世界の綿織物の歴史

ワタから布を織ることは、すでにインダス文明のころにはおこなわれており、前2500~前1500年ごろの染色した布片がモヘンジョ・ダロの遺跡から出土している。また同じころ南米ペルーでも木綿の織物がつくられていた。

インドで多量につくられていた木綿はエジプトからギリシャへつたわり、紀元前後にはローマでも織られていた。中世には隊商によってイスラム諸国をへてヨーロッパにもたらされた。13世紀には、イタリアのミラノやパドバでつくられていたが、毛織物などにくらべ、まだ貴重な織物であった。

1

ヨーロッパにインド更紗が浸透

16~17世紀東インド会社を通じてヨーロッパ全土にひろまったのは、木綿に染色をほどこしたインド更紗であった。異国的でうつくしいモチーフが堅牢(けんろう)な染めでほどこされ、洗濯にもたえる軽やかで実用的な布は、熱狂的にうけいれられ、イギリスやフランスでは絹や毛織物の業者の怒りをかって、17世紀末~18世紀半ばまでインド更紗の生産も着用も禁止されたほどであった。

その後多くの工場でヨーロッパ製更紗がつくりだされるようになり、染めのほどこせない麻織物か、重厚な絹や毛織物しかしらなかった女性たちを魅了した。体にそう木綿のしなやかさと染めやすさはファッションにも影響をあたえ、18世紀後半から19世紀にかけて流行した薄手の簡素なドレスとともに、木綿の下着がそれまでの麻の下着にかわってつくられるようになった。

2

綿織物が産業革命の柱に

毛織物工業の盛んだったイギリスでは、綿織物工業が産業革命の大きな柱になった。1733年のジョン・ケイ、64年のジェームズ・ハーグリーブス、69年のリチャード・アークライトらによる織機や紡績機の発明・改良が飛躍的に生産をたかめた。

1740年ごろイギリスからもたらされたワタが、アメリカ・バージニア州を中心に栽培されるようになり、93年のイーライ・ホイットニーによる綿繰機の発明は、ワタ畑における奴隷労働を促進した。

19世紀半ばには、フランスのニームでつくられていたデニムをつかってイタリアのジェノバで労働用としてつくられていたジーンズが、アメリカでリーバイ・ストラウスによって鉱山ではたらく労働者の労働着として紹介された。堅牢な布地のデニムはまたたく間にアメリカじゅうにひろまり、ジーンズはTシャツとともにアメリカ・ファッションとしてすっかり定着しただけでなく、今日では世界のほとんどの地域で日常衣料となっている。

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