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ドーバー海峡をむすぶ海底鉄道トンネルで、別名ドーバー海峡トンネル、英仏海峡トンネル、チャネル・トンネルともいう。フランスのコクウェルターミナルからサンガットをへて、イギリスのシェークスピアクリフを通過してフォークストンターミナルにいたる。全長50.5km、海底部37.9km、最小曲線半径は4000m。
英仏間をむすぶ計画は、1751年にフランスのニコラス・デズモンドが海底のチョーク層の研究をおこない、フランスのアミアン・アカデミーは海峡連絡案を募集している。1802年には、フランスのアベール・マチューは、ナポレオン1世に海底トンネルの設計案を提出している。31年からは、フランスのトム・ガモンが潜水して海底の地質調査をおこない、67年から69年にかけては、独自に研究をすすめていたイギリスのジョン・ホークショウと連絡して、海峡横断トンネルの構想をそれぞれ発表している。
1855年のパリ万博では、ドーバー海峡トンネルの模型が展示され、72年には、両国で海峡トンネル会社が設立され、トンネル建設は具体化にむかっているようだった。イギリス側は、現在のトンネルよりも西の地点で、ボーモント大佐が考案したトンネル・ボーリング・マシン(TBM)(→ 掘削機械)をつかって試掘をはじめ、約60m近くほりすすみ、別にシェークスピアクリフから海峡にむかっておよそ1.6km掘削している。フランス側もガモンが指揮して約1.8kmほどTBMで試掘したが、本格的な着工にいたる前に、おもに軍事上の理由で反対意見が強くなり、82年にはイギリスが中止を決定し、ついでフランスも翌年には正式に中止した。
20世紀にはいって、第1次世界大戦終結後に、ふたたび海峡トンネル建設の機運がもりあがり、フランス議会は推進の決定をおこなった。イギリスの運輸委員会も承認し、国会本会議にもちこまれたが、わずか数票という僅差で否決されてしまった。 第2次世界大戦後は、1957年にアメリカ、イギリス、フランスの3国の代表によるチャネル・トンネル・スタディ・グループ(CTSG)が結成されて、具体的な設計案が検討された。その後73年から74年にかけて試掘がおこなわれたが、石油危機によって、イギリスの経済が悪化したことを理由に中断した。81年には当時のイギリスのサッチャー首相とフランスのミッテラン大統領の間で、計画の再開に合意した。
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