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君主の保有する権力ないし権能が、憲法によって制限されている君主制をいう。国家の形態については、従来、アリストテレスの主張した君主制(堕落した場合は僭主制)、貴族制(堕落した場合は寡頭制)、民主制(堕落した場合は衆愚制)という三分説か、それを単純化したマキアベリの君主制、共和制の二分説を基本として分類されてきた。 君主制については、さらに細かく分類されるが、君主のもつ権力ないし権能に着眼し、歴史的および政治的観点にたって、中世末以降では一般的に、絶対君主制(→ 絶対王政)、立憲君主制、議会主義的君主制に区別される。この区分は、さらに簡明に絶対君主制と立憲君主制に二分してもちいられる場合がある。
立憲君主制はイギリス憲政史の中で確立していく。1215年のマグナ・カルタ以来、イギリスにおいては国王といえども伝統的、慣習的な法規範のもとにあるとされ、議会の地位と権限は徐々に発展ないし強化されるが、17世紀にはいって国王が権限の拡大と強化をもとめて市民や議会と対立し、絶対君主になろうとしたため、近代市民革命がおきた。 1688~89年の名誉革命以後は議会主権が確立し、さらに18世紀にはいってからは国王の有する行政権も事実上内閣へとうつり、責任内閣制度にもとづく議会政治がおこなわれる。19世紀には政党政治の確立、選挙法の改正などがおこなわれ、近代的な議院内閣制(→ 内閣)が形成されていった。 このようにして、国王は国の元首ないし君主として、さらには1931年のウェストミンスター憲章によってイギリス連邦の象徴として存在するが、実質的な権限は国民に委譲されたのである。かくして立憲君主制は、君主の恣意的な権力行使を抑制しようとする立憲主義にもとづいて、君主の権力を国民ないし議会が制限する国家形態をさすことになる。
ところが、この立憲君主制という概念は、おくれて発展してきた資本主義国家において形式化してもちいられることになった。たとえば1850年のプロイセン憲法、71年のビスマルク憲法、89年の大日本帝国憲法などは、憲法典によって君主の恣意的な政治権力行使を制限するのではなく、逆に憲法典によって君主の強大な権力を確認するだけのものとなっている。 これらの憲法は、近代国家の外観だけを形づくるためのものであり、立憲主義を形式的にだけ模したものであるので、「外見的立憲主義」憲法典とよばれている。 このような事態の発生を背景に、立憲君主制は、イギリスのような立憲君主制と外見的立憲主義にもとづく立憲君主制とに区別される。イギリスの立憲君主制は、政治的実態において議会が政治権力を行使する民主主義国家を意味しているから、「議会主義的君主制」とよばれる。
しかし、第2次世界大戦後の現代において立憲君主制を採用する国々は、その憲法上、ほぼ国民主権国家であることを宣言しており、立憲君主制は伝統的な君主が形式的に存在している国家体制を意味するだけのものとなった。 そのような観点から、日本の国家形態も立憲君主制と分類されることがある。日本国憲法は、前文および第1条において、国民主権を明確に採用し、また天皇を実質的権限をもたない象徴として位置づけており、日本の政治の実態は共和制あるいは民主制であることは明らかである。
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