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東アジア世界にみられる、律令法によって形成された国家統治体制をいう。律は刑法、令は行政法・民法で、この法体系のもとに国家体制がととのえられていた(→ 律令格式)。
律令制の起源は中国にあり、土着してその地を支配する貴族・豪族に対し、皇帝がその上にたつ強力な支配権力を確立するために生まれた。北魏や唐を例にとれば、令(れい)にある均田法では土地の公有化をはかり、国家によってそれを配分することを規定し、貴族・豪族たちの土地所有を制限したり、禁じている。また法による国家統治をおこなうため、皇帝に奉仕する官僚集団をつくりあげた。こうした律令の法体系を基礎に国家の諸制度があり、それを実行する政治組織が皇帝を頂点とする中央集権的な国家体制である。 中国の律令制定には、皇帝が宮廷内の名門貴族・豪族をしりぞけ、官制である三省のうち尚書省とその下の行政機関を通じて皇帝専制政治を思いどおりにおこなえる体制、さらに貴族・土豪の勢力をおさえる体制をつくるねらいがあった。ただ、三省のひとつ門下省に集中していた貴族・土豪の政治力は無視できず、皇帝の譲歩もあったが、律令の制定は両者対立の中で皇帝側が統治政策をしめしたものといってよい。したがって中国では、皇帝の代がわりごとに律令があらためられ、律令制が明・清代まで存続した。
朝鮮半島・日本などの周辺諸国は中国の形式を模倣するにとどまった。日本では、6世紀末~7世紀前半に中国で隋・唐の統一王朝が成立したことと、両国が高句麗遠征をはじめたことに刺激された。朝鮮半島での国益をめぐる思惑もあって、日本は対中戦争をにらんで国力を緊急に高めなければならなかった。国家の中央集権化が必要となり、それをまなぶため中国に多くの留学生をおくったのである。 そのため、日本では中国の律令のうち中央集権の行政システムだけをまねることに力点をおいた。天皇家と豪族層の対立を切りぬけたり豪族の政治力をおさえるより、人民を集中的に管理するための支配体制を導入することが最優先だった。 中国の律は国家・人間としての礼を機軸とした刑法体系だったが、日本では飛鳥浄御原令がつくられた際も律はつくられず、養老律令のうちの養老律は人々の関心をよばずに、多くが散逸してしまった(→ 大宝律令)。これに対して統治のための行政法にすぎない令のほうが尊重され、本文だけでなく「令義解」「令集解(りょうのしゅうげ)」など注釈書の編纂も盛んにおこなわれた。
日本の律令制は、天皇を中心に有力豪族や貴族が上級官僚としてそれを補佐する中央集権的官僚制である。国家が土地と人民を支配する公地公民制のもとで、土地は班田収授法によって人民に分配され、良民と賤民に大別される身分制度があった。中央行政組織は二官八省で、地方は国・郡・里(郷)に編成され、それぞれ国司・郡司などがおかれている。国家財政の基礎になる租税には租庸調と雑徭があった。律令制が機能したのは9世紀までで、平安後期には事実上すたれていた。
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