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  • 渡辺崋山 田原市博物館

    田原市博物館は、愛知県田原の歴史的環境のもと渡辺崋山をはじめとした文化財を広く展示公開しています。また、文化財資料の収集、収蔵及び研究を行っています。 ... 激動の幕末を生きた渡辺崋山。 田原藩家老であり、画家としても名を成し、蘭学者の顔 ...

  • 渡辺崋山 - Wikipedia

    渡辺 崋山 (わたなべ かざん、 寛政 5年 9月16日 ( 1793年 10月20日 ) - 天保 12年 10月11日 ( 1841年 11月23日 ))は、 江戸時代 後期の 政治家 ・ 画家 。40歳の時、 三河国 田原藩 (現在の愛知県 田原市 域にほぼ当たる) 家老。

  • 渡辺崋山

    画家としての崋山 画家として名高い。西洋画の技法を取り入れ、写実性を ... 書」の中に「崋山没収本」と呼ばれる蘭書の翻訳書があるが、すべてが崋山の旧蔵書かどうかは不明。 参考文献 鈴木清節編『崋山全集』(崋山叢書出版会 1941) 佐藤昌介著『渡辺 ...

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渡辺崋山

渡辺崋山 わたなべかざん
百科事典項目

1793~1841 江戸後期の蘭学者・画家。名は定静(さだやす)、通称は登(のぼり)、崋山は号。三河国田原藩士の長男として江戸藩邸に生まれ、金子金陵・谷文晁らに絵画、佐藤一斎・松崎慊堂(こうどう)らに儒学をまなぶ。父が病身のため、まずしい少年時代をすごした。

藩士としての崋山は、1832年(天保3)に年寄役(家老)兼海防掛、36年に江戸留守居役を歴任するなど、1万2000石の小藩ながら重臣として活躍した。年寄役時代に本格的な蘭学研究をはじめ、シーボルト門下の高野長英小関三英らと交流して尚歯(しょうし)会を結成し、西洋事情をまなんだ。

1837年のモリソン号事件では幕府の鎖国政策を批判し、「慎機論」をあらわして異国船打払令の無謀さを説いた。これは完成されず未公開のものだったが、幕府目付の鳥居耀蔵(ようぞう)の陰謀により39年の蛮社の獄でとらえられ、国元で蟄居(ちっきょ)処分となった。41年に江戸で門弟が崋山の生活をたすけるためにひらいた画会が不謹慎であるとあやまってつたえられ、藩主に迷惑がかかるのをおそれて自殺した。

画家としては、遠近法など西洋画の手法をとりいれたことで有名。代表作には、肖像画の「鷹見泉石像」、庶民生活をえがいた「一掃百態」、天保の飢饉をテーマにした「荒歳流民救恤(きゅうじゅつ)図」などがある。

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