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Windows Live® の検索結果 古代日本の銭貨。「珎」を「珍」の異体字ではなく「寳」の省略体ととり、「わどうかいほう」とよむ説もある。 708年(和銅元)1月、武蔵国秩父郡(埼玉県秩父市)から和銅(にぎどう)とよばれる純度の高い銅鉱石が発見された。これがきっかけで催鋳銭司がもうけられ、銀銭と銅銭の鋳造事業がはじまった。銀銭は709年、710年と連続して使用禁止令がだされ、銅銭だけが通用をゆるされた。 鋳造は、近江(おうみ)・長門(ながと)などでおこなわれ、おもに畿内とその周辺地域でつかわれた。鋳銭事業の根底には、中国文化を理想とする考えもあり、政府は711年の蓄銭叙位法などで市場での流通をうながした。 しかし当時は、布・米などの代用貨幣への信頼が高く、庶民は銅地金本来の商品価値とかけはなれた価値をあたえられた銭貨に魅力を感じなかった。銭貨発行で利益をえたのは、銅地金に数倍の価値をあたえて支出にもちいる政府だけだった。 なお「和同」の意味は、年号にもなった和銅にちなむともいうが、おそらく吉祥的な字句をきざんだものだろう。 1999年1月に奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から日本最古の銭貨の可能性の高い富本銭(ふほんせん)が発見されたことが新聞発表された。平城京跡や藤原京跡などでこれまで数点発見されていたが、年代が特定できず、通貨ではなく「まじない銭」であるとか江戸時代の「絵銭」といわれてきた。しかし、飛鳥池遺跡から鋳造中のものもふくめ数多く出土し、7世紀後半の通貨であることが明らかになった。これによって、和同開珎は「日本最初の通貨」の地位をあけわたすことになった。 → 皇朝十二銭
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