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転移(心理学)

転移 てんい Transference
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

精神分析家が患者(クライアント)を治療する際、その分析家と患者の関係のうちに、患者の幼少期における無意識的願望(主として両親との関係に関する)が、現実感をともなって反復体験されることがある。それを転移という。転移という言葉は、フロイトが「ヒステリー研究」(1895)の中ではじめて使用したとされる。転移は、一般に分析治療の過程で、それまで抑圧されていたものがあばかれそうになった時点でおこりやすい。無意識的葛藤(かっとう)を想起するという分析治療の主目的からすれば、これはむしろ治療への抵抗という意味をもつことになる。しかし、それは患者の幼児期の葛藤が生き生きと再現されるまたとない貴重な場面となるので、分析家にとっては患者の真の問題を洞察する手掛かりとなり、また患者にとっても、自分の無意識の欲望や幻想に自分自身が直面する契機となりうる。その意味では重要な治療的意味をもつ。

たとえば、強迫神経症(臨床心理学の「神経症水準」)の一症例(有名なフロイトの「ねずみ男の症例」)において、患者は最初、愛する父をうしなったことを大いになげくが、分析がすすむにつれて、しだいに父親に対する否定的な感情が表面化してくる。そして、分析場面でフロイトにむかってはげしく悪口雑言の限りをつくしたかと思うと、なぜ先生のようなえらい人が自分のような者に悪口をいわせておくのだ、先生は自分をここからほうりださなければならないといって、椅子(いす)からたちあがり、その場をのがれようとする。

このような患者のふるまいは、幼児期に父親にしかられたときの、父親へのはげしい恨みや敵意となぐられる恐怖が、分析家であるフロイトに転移されたものにほかならない。こうして患者の父親に対するアンビバレンツ(両価的感情)が洞察されるとともに、そのことと患者がうったえるもっとも中心的な症状とのつながりが解明され、治療が進行することになる。

患者のむける転移には陽性転移と陰性転移がある。心理治療において一般に患者から陽性転移をむけられれば治療者(セラピスト)はなんとなくよい気分になり、陰性転移をむけられれば不快な気分になるが、この治療者側の無意識的な反応そのものを逆転移または対抗転移とよぶ。異性の患者が分析家に陽性転移をむけ、これへの逆転移によって分別をわすれてならないことはもちろん、陰性転移への逆転移によって怒りを爆発させるなどしては、治療的関係が台なしになることはいうまでもないことである。したがって、精神分析において逆転移の処理は分析家にとっては大きな問題であり、初期には否定的にうけとめられていた。

II

ユング派の考え方

ユング派の分析心理学でも、転移の問題は治療関係において重視されている。ただしユング派では、フロイト派精神分析のそれとはちがって、転移はもっぱら患者が治療者にむける一方的なものでなく、患者の話が心の深層の集合的な無意識の元型的布置にまでおよぶと、治療者もそこにまきこまれ、ともに転移の現象にさらされて、治療者と患者の境界がわからなくなるほどの状態にまでなることがあると考える。

治療者はフロイト派のように転移の現象をそこから一歩しりぞいて解釈するのではなく、転移の現象の中に生きることがもとめられ、それによって治療者自身が患者の内的世界を共有することがもとめられる。そこには治療者自身が元型的な布置にとらえられるかもしれない危険が存在するが、それをきわどくくぐりぬけ、患者の苦しみを共有しながらも、治療者としての主体性をうしなわないことが、あわせてもとめられている。

ユングはある女性患者の治療が進展せずにこまっていたときに、「高い丘の上の城の上にいる患者をみるために、自分がみあげないといけない」という夢をみた。そして、患者をあおぎみなければみえないというこの夢の内容(補償夢)に、ユングは自分の中に患者をみおろす逆転移をみいだしている。フロイト派ならばこれは治療に協力的でない患者への分析家の逆転移として解釈されてすまされたであろうが、ユングはこれを患者につたえ、この内容を患者とはなしあうことによって分析場面の展開をみたという。

心理治療は患者–分析家(クライアント–セラピスト)の人間関係の上にきずかれるものであるから、そこに生じる転移や逆転移の微妙な力学が治療の方向と展開を規定する力をもつというのはじゅうぶんに理解できるところである。フロイト派とユング派の転移の理解の違いは、ひとつには無意識を幼児期における両親との葛藤とみるか、集合的かつ元型的なものとみるかの違いであり、今ひとつは患者の葛藤から分析家が一歩しりぞき、知的な洞察によってそれを因果的に理解するか、分析家が主体性を保持しながらも、患者の葛藤を共有し、それを生きてみようとするかの違いだといえる。

境界例(臨床心理学の「境界例水準」)のように転移が激烈なかたちでおこり、したがって逆転移も強くおこりやすいケースにおいては、治療者はフロイト派的な距離をおいた姿勢とユング派的な共感的姿勢の両面がもとめられ、それが治療者を疲弊させる理由となっている。なお、フロイト派においても近年、逆転移はかならずしも否定的にはうけとめられなくなっており、逆転移の感情のよってきたるところをみすえることをとおして、患者の問題の洞察につなげようとする前向きの姿勢が一般的になってきている。

精神分析

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