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米 こめ Rice
百科事典項目
項目構成
VIII

米の経済史

日本人は、豊葦原の瑞穂の国の建設をめざして、米の増産にはげんできた。大宝律令(701年)による班田収授法も、国家が水田をかしあたえ、そこからあがる収入の3%を税としておさめさせることによって、国家の経済基盤をかため、税を低くおさえることによって、増産を奨励する試みだった。しかし、水田の私有がみとめられなかったため、この制度は崩壊し、やがては貴族や寺社、そして武士によって水田は私有されるようになった。水田をいかに多く所有するかが、権力への近道であり、巨大な荘園を経営する勢力が、政治権力をにぎった。室町時代には米の生産力が上昇し、品種も多様化、それが室町幕府徳川幕府といった長期政権をささえた。江戸時代には、所領は米の生産高で表示され(石高制)、米遣いの経済とよばれるほど米が重要商品となった。そして各藩によって、盛んに新田開発がおこなわれた。

しかし農民にとって、米は年貢としておさめるか、町場への販売物であったために、農民が自分たちで米を食べることができるようになったのは、江戸後期になってからである。それまで農民は、アワヒエなどの雑穀を主食としていた。一方で幕臣やの領主、さらにはその家臣だけではなく、江戸大坂といった都市部の町民は、江戸時代の初めから米を食べていた。

当時の米穀流通については、海上輸送の発達、貨幣経済の浸透にともない、全国諸藩の年貢米が大坂、江戸など大都市へ海路ではこびこまれ、蔵屋敷におさめられた。そしてこれら年貢米を換金する市場として、大坂堂島に大規模な米市場が成立、米の商品化が一気にすすんだ。

明治期に入ると、人口の増加や都市化の進展によって、米の需要が高まり、米は常に不足していた。そのため、インドやインドネシア、タイから輸入されたいわゆる南京米によって増加する工場労働者の食料の需要をまかなっていた。しかし、米の供給がじゅうぶんでなかったために、ちょっとしたきっかけがあれば米価は急騰し、1918年(大正7年)には、それが米騒動に発展した。

その後、朝鮮や台湾といった当時の植民地から、米の移入がおこなわれたが、やがてそういった地域でも米の消費がふえ、移入量がへった。そこで政府は、1942年(昭和17年)に食糧管理制度を発足させ、米や麦などについては配給制をしいた。しかし、敗戦とともに、配給だけでは米がじゅうぶんに確保できなかったため、人々は高いヤミ米を買わざるをえなかった。

IX

国による管理から民間主導へ

国による米の全量管理を基本とする食糧管理法では、米の生産者にはそれをすべて政府に売りわたす義務がさだめられていた。農民には、販売の自由がなかったわけだが、すべてを買いあげてもらえる保証があったため、農民は米の増産にはげんだ。そして、米の売り渡し価格が政府によって決定されるため、米価は政治問題となり、農民は圧力団体として政府、自民党に影響力をもった。

米の消費量は1962年をピークとして、その後は減少に転じたが、生産性の向上などによって米余りの状態となった。70年代に入ると減反政策がおこなわれ、また、69年には自主流通米の制度が創設されて、政府を介さない米の流通がはじまり、高価でもおいしい銘柄米が注目されるなど、自主流通米の割合がふえていった。

1993年(平成5年)には、記録的な不作による米不足のため、政府は米の緊急輸入にふみきった。またこの年、WTO(世界貿易機関)の前身であるGATT(関税貿易一般協定)のウルグアイ・ラウンド農業合意によって、日本は米について最低輸入機会(ミニマム・アクセス:MA)をうけいれることになった。この2つの出来事を直接的な契機として95年に食糧管理法は廃止され、かわって主要食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)が制定された。主要食糧法では、国の役割は備蓄運営に限定され、2004年の改正で計画流通制度が廃止された。需給調整についても、農業者が主体的におこなうシステムに移行した。

米は日本人の主食であるとはいえ、生活の豊かさが実現されるとともに、食生活における米の比重はかなり低下している。しかし、1993年の米不足の際の混乱がしめすように、米が日本人にとって欠かすことのできない穀物であることは否定できない。また、米不足のために緊急に輸入されたタイ米が、結局はあまったように、日本でつくられた米に対する嗜好性(しこうせい)がかなり強い。ミニマム・アクセス米のおもな用途は、加工用、海外援助用、備蓄用などであり、いくら輸入米の価格が低くても、日本人が主食を輸入米に依存するようになるとは考えられない状況にある。

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