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金鉱の発見にともない、大規模で急速な人口移動がおこることをいい、それらの地域への人口集中によって町ができたり、農業、商業、交通などが大きく発展するなどの現象がみられる。 西半球の金鉱は、北アメリカ西部のアラスカからメキシコにいたる、ロッキー山脈を中心とする大山脈地帯に多数存在し、19世紀後半に次々と発見された。なかでも1848年からのカリフォルニアでのゴールドラッシュがもっとも有名である。南アメリカではブラジルでのゴールドラッシュがよく知られている。 東半球でも19世紀半ば以降におきており、オーストラリア東部はゴールドラッシュによって大きく発展した。また南アフリカではウィトウォーターズランドでの世界最大といわれる金脈発見によっておきている。
19世紀後半にアメリカ西部の開拓は急速にすすんだが、東部の場合とはことなり、ロッキー山脈の西部やその東部大平原での開発は罠(わな)猟師や開拓農民に先だって、鉱山開拓者や放牧業者、鉄道業者がおこない、開拓の前進基地として独特のフロンティア社会をきずいた。とくに金の採掘者や鉱山業者は、西部開発の先兵として、人の流れに弾みをつけ、それまでと逆の西から東へのフロンティア・ラインの東漸運動をうながした。→ フロンティアとフロンティア・スピリット
1848年1月、カリフォルニアのサクラメント近郊のアメリカン川で、製材所を建設中の大工ジェームズ・マーシャルが砂金を発見した。この知らせはまたたく間に近郊一帯に広まり、続々と人々が金探しにおしよせた。そのためサンフランシスコは一時的にゴーストタウンと化した。 まもなく、金発見の知らせに全米から一攫千金を夢みる人々がおしよせた。1848年12月の年次教書でポーク大統領が金発見のニュースにふれたことで、ブームにいっそうの拍車がかかり、ホーン岬周りでマゼラン海峡をとおるルートや、パナマまで船でゆきパナマ地峡を陸路横断して海路カリフォルニアにいたるルートのほか、幌馬車でロッキー山脈をこえるルートで多くの人が殺到した。また、メキシコはもちろん、遠く中国やオーストラリアからも「金の山」をめざして人々がやってきた。
カリフォルニアに金探しにあつまった人々をはじめ、商人、売春婦、宿屋、金融業者などは、フォーティ・ナイナーズ(1849年の人々)とよばれた。男女比が12:1という圧倒的な男性社会であり、無法者や無頼(ぶらい)漢も多かったが、自然発生的な民主主義の支配する多数の鉱山町が建設された。カリフォルニアの人口は1万数千人から1849年末に9万人、52年までに22万人へと増加した。ブームは年間金産出量が頂点に達した52年(約8100万t)を境におとろえたが、その後も多くの人が農民や商人としてカリフォルニアに残留し、都市の発展に寄与した。 カリフォルニアのゴールドラッシュは、1850年に自由州として連邦加入を実現した。しかし、これは奴隷制問題をめぐる南部と北部による「1850年の妥協」(→ アメリカ合衆国の「1850年の妥協」)の産物でもあり、南北対立に影響をおよぼしたともいえる。また、ゴールドラッシュによるカリフォルニアの発展は、大陸横断鉄道の太平洋岸からの建設をもうながし、アメリカ経済の躍進をもたらした。 19世紀後半、カリフォルニアのゴールドラッシュと同じような例が西部各地で生じた。当初、カリフォルニアでは簡単な道具だけで川底から容易に金が採取できた。しかし、しだいに大規模な採掘が必要となり、金採掘には坑道をつくったりする資本と労働力が必要となったから、つるはしと洗い鍋(なべ)をロバにつむだけの採掘者たちは、金銀をもとめて西部の山岳地帯や砂漠地帯にはいりこんでいった。
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