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まず1858年、コロラドのサウスプラット川で金鉱がみつかりデンバーを中心に、フォーティ・ナイナーズを彷彿(ほうふつ)とさせるゴールドラッシュがおこった。さらに翌59年にも豊かな金鉱脈が発見され、セントラル・シティという大規模な鉱山町が建設された。同年、ネバダのカーソン川近くでも金銀鉱脈が発見された。カムストック鉱山が開かれ、バージニア・シティを中心にカリフォルニアとの道が開かれ発展した。人口集中により61年にネバダは準州となった。この年には、のち作家として名をなすマーク・トウェーンも金銀をもとめてネバダへやってきている。現在ネバダ州内には200ものゴースト・タウンがのこっている。 その後ゴールドラッシュは、モンタナ(1863)、ワイオミング(1867)、ダコタ(1874)とつづくが、南北戦争(1861~65)期を境に東部資本が金採掘に本格的に参入し、個人の採掘者はしだいに賃金労働者に転落、ロマンにあふれたフロンティアの成功物語は過去のものとなっていった。
1874年に発見されたダコタのブラックヒルズ地域でのゴールドラッシュは、アメリカ先住民と白人の関係を象徴する出来事だった。アメリカ政府はブラックヒルズ一帯に居住するスー族と協定をむすび、保留地として保護を約束していた。金発見後、はじめ政府はカスター将軍の第7騎兵隊に警戒させていたが、白人採掘者たちが警戒線を突破して次々と保留地内で採掘をはじめた。多くの採掘者がブラックヒルズに侵入して手におえなくなると政府は、土地の放棄をスー族にせまった。スー族は武力抵抗をおこなったが、90年のウーンデッド・ニーでの虐殺を最後に力でねじふせられた。
1858年、カナダ南西部のフレーザー川流域とカリブー山脈(現ブリティッシュコロンビア州)で金が発見され、この一帯でのゴールドラッシュがはじまった。サンフランシスコから鉱山採掘者たちが群れをなして北上してきたため、中心だったバーカービルの町は最盛期に2万5000の人口を数えた。 1869年にはアラスカに近いユーコン川流域で金がみつかり、96年にはユーコン川の支流であるクロンダイク川上流のボナンザ・クリークで豊富な金が発見された。シアトルでこの話が広まると、翌年には大規模なゴールドラッシュがおこった(→ クロンダイク)。全盛期の1900年には、2200万ドル以上に相当する金がこの一帯の川から採取されているが、その後、金の産出は急速におちこんだ。
ゴールドラッシュによってカナダ西部地域は大きく発展したが、アラスカも事情は同じだった。1880年代にはじめて金がみつかり、またクロンダイクへの通り道としても発展する。90年代末にノームで金鉱が発見されると、20世紀にはいって、フェアバンクス(1902)を中心に金鉱が次々と発見され、鉱山キャンプがあいついで建設された。ゴールドラッシュにより、アメリカとカナダの間ではアラスカ方面の国境紛争が生じたが、1903年にアメリカに有利なかたちで解決された。 1911年には、ユーコン川の支流であるシックスティマイル川の源流、カナダ国境近くでも金が発見されている。
ブラジル最初のゴールドラッシュははやく、1693年のミナス地方(→ ミナスジェライス)での金鉱発見によっておきている。このときは植民地内だけでなく本国ポルトガルからも何万人もの移住者があった。鉱山町オウロプレートなどができ、植民地時代にブラジルで産金された総量のおよそ8割がミナス地方での産出といわれる。1979年にはアマゾン川流域の密林でゴールドラッシュがおこるなど、いまだに採鉱は盛んである。
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