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1850年代のゴールドラッシュによって、オーストラリアの社会と経済は急速に発展した。51年4月、ニューサウスウェールズ植民地のサマー・ヒル・クリーク(シドニーの西方)で、アメリカ帰りのエドワード・ハーグレイブズが金を発見した。少し前にカリフォルニアでゴールドラッシュがおきていたため、多くの人が金鉱探しにはしった。まもなくゴールドラッシュの中心地はビクトリア植民地(現ビクトリア州)となり、イギリス人やカナダ人をはじめ、アメリカ人、中国人が移住してきてすみついた。マウント・アレクサンダー、バララト、ベンディゴなどの町に彼らはおしよせ、40万人ほどしかいなかった植民地人口は10年後に3倍にもなった。 ビクトリア植民地では、金採掘許可証をとるのに高額の手数料がかかり、金鉱をさがすことも制限されていたため、1854年にバララトの鉱夫たちがユリーカ砦(とりで)で反乱をおこしている(→ ユリーカ砦の反乱)。のちにはニューサウスウェールズやクイーンズランド各地で金が発見されている。オーストラリアの金の産出量は1900年代初めを境にそのピークをすぎるが、現在でも世界の年間産出量の1割ほどを占める。
南部アフリカでは、1860年代からいくつかの金鉱脈が発見されていたが、1884年にウィトウォーターズランドの地表で金が発見され、86年から本格的な採掘がはじまる。イギリス人を中心に数千人の採掘者がおしかけ、ゴールドラッシュがはじまった。トランスバール共和国政府(→ トランスバール諸州)は、この地域を国有化し、地区ごとに採掘権をみとめる貸区制をとった。そのため、金で一山(ひとやま)あてようとする投機的、野心的な企業家たちが数多くあつまった。89年には地表深くから豊富な金鉱脈がみつかり、世界最大の金鉱脈となる。 ダイヤモンド鉱山(→ ダイヤモンドの「産出」)のときと同じように、イギリスはこの金鉱脈に目をつけ、オランダ系移民の子孫たちの多いトランスバール共和国の支配をもくろみ、ボーア戦争をへてこの地域はイギリス領となった。現在、南アフリカ共和国は世界一の金の産出国であるが、今でも代表的な鉱山はウィトウォーターズランドにある。 → 西部開拓史
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